弟が、コーラを買って小銭を両替した日

1年に一度、思い立ったように、弟・良太と旅に出る。

生まれつきダウン症で、知的障がいのある弟は、
いつも旅先で私に「なにか」を教えてくれる。

「なにか」は、そのときの私の杖になることが多い。

とある春、三重県の伊勢へ弟と旅行したとき、私はボロボロだった。
職場の人間関係のトラブルで、心を壊し、
あっと言う間に身体を壊し、休職することになった。

自分がとにかく情けなくて、恥ずかしかった。
「こんなことで駄目になるなんて」と、悔しかった。

大きなことをやり遂げるつもりで引っ越した東京から、
後ろ髪を引かれる思いで逃げ去り、地元の神戸に戻った。

ただ、ぼうっとして毎日が過ぎていく中、
弟が「姉ちゃん、行こ。温泉」と言った。

弟は、私が休職していることも、その事情も知らない。
ただ、忙しそうにしてた姉がめずらしく帰ってきたから、
遊ぼうぜ、くらいのシンプルな動機だったんだと思う。

それで、私たちは、伊勢に行き、
温泉に入るついでに、志摩スペイン村 パルケ・エスパーニャで遊ぶことにした。

私たち姉弟は、温泉とジェットコースターが好きなのである。

しかし、事件はパルケ・エスパーニャへ向かう前に起きた。
駅から出るシャトルバスの列に並んでいるとき、
小銭が足りないことに気がついた。車内で両替はできないらしい。

バスが到着するまで、あと1分もない。
焦った私は、弟に1000円札を握らせて「崩してきて!」と言った。

「わかった」と言い、のっしのっしと歩いていく弟を見て、
すぐに「しまった」と思った。
両替なんて一人でやったことがないだろう弟に任せるより、
弟に並ばせて、私が両替に行った方が良かったのだ。

ああ、どうしよう。下手したら帰ってこないかも。
私の心配をよそに、弟は、のっしのっしと帰ってきた。

左手に小銭を、右手にコーラのペットボトルを持って。

衝撃を受けた。

弟は細かいことを説明することができないので、
私が推測するに、
「姉ちゃんがどうやら丸いお金を欲しがってる」
「自動販売機にお金入れてジュース買ったら、丸いお金が出てくる」
「せっかくだから、姉ちゃんと僕が好きなコーラを買おう」
という、経験則でたどり着いた答えなのだと思う。

感動した。
それはそれは、えらく感動した。

私が仕事で実家を留守にしている間に、
弟は成長を遂げていた。誰に教えられたわけでもなく、
ただ、日々を素直に生きて、見様見真似に従うだけで。

「きっと弟にはできないだろう」と思っていた姉の私は、
愚かだった。

休職が、なんだ。
恥ずかしい、情けない、そんなことあるもんか。
周りの目を気にせず、素直に生きよう。
見様見真似でも、上手くいかなくても、私はまだ成長できる。
もう一度、やり直そう。

なぜだか、小銭を持ってきただけの弟を見て、
私の気持ちは、一気に前向きになった。

お礼に弟の好物を、与えられるだけ与えていたら、
私のお財布はすっからかんになった。
また稼がないとなと思ったので、私は無事に復職した。

弟が、知らないおばあさんをたすけた日

去年の秋、私と弟は滋賀を訪れた。

「どこに行きたい?」と弟に尋ねたら、
「う〜ん、温泉!」と即答された。

そもそも私の実家は神戸の有馬温泉からほど近いところにあるので、
10分も車を走らせれば温泉に入れるのだが、せっかくだから旅に出た。

この旅では、開始10分も経たない内に、度肝を抜かれた。

自宅の最寄り駅に到着したら、知らないおばあさんが、
私たちのところへ歩み寄ってきて、
「ペットボトルのフタを開けるの、手伝ってくださる?」と
声をかけてきたのだ。

私ではなく、弟へ。

「えっ」と思わず声が出るくらい、私がびっくりした。
弟は、わりと見た目で障がいがあることがわかりやすい方だ。

だから、だいたい、弟に用事がある人は、
最初から、隣にいる母や私に声をかける。

でも、このおばあさんは、真っ先に、弟に声をかけたのだ。

そして弟は、余裕で開けた。
おばあさんはたいそう喜んで、「お礼に好きなジュースを買ってあげる」と、
弟を自動販売機の前まで連れていった。

取り残された姉は、ただポカーンとして、その様子を見ていた。
弟が、家族以外の人をたすけるところを、姉は初めて目撃したのだった。

弟が、ありがと。を連発した日

滋賀へ行く道中、ずっと考えていた。
なぜあのおばあさんは、弟に声をかけたのだろう、と。

障がいのある人に声をかける、というのは、
客観的に見るとかなり勇気がある行為だと思う。

それも、身体の障がいではなく、知的障がいのある弟。
コミュニケーションがすんなり取れるとは限らない。
まったく抵抗がないという人は少ないんじゃないか。

私だって、弟だからコミュニケーションが取れるものの、
これまで全然関わったことがない障がいのある人と話すとき、
たまに身構えてしまうことがある。

もしかして、おばあさんは、
弟の特徴がよく見えていなかったのかなあ、と大変失礼なことを思いもした。

でも、その謎は、徐々に解けていった。

弟を見ていると、とにかく、色んな人に挨拶する。

改札の隣にいる駅員さん、道行く子連れのお母さん、
コンビニの店員さん、旅館の庭師さん。

誰かとすれ違う度に、ペコッ、と軽くお辞儀する。

近所ならいざ知らず、そんな人を見たことがあるだろうか。
今や、多くの人は、スマホを見たり音楽を聞いたりしながら、街へ繰り出し、必要にかられない限り、挨拶はしない。
というか、人とすれ違っていることにすら気づかないのでは。

そして、弟は何かをしてもらったら、必ずお礼を言う。

旅館で夕食を食べている2時間の間に、
弟は少なくとも10回は、仲居さんに「ありがと」と言った。

お皿を下げてもらったら「ありがと」
鍋のフタを上げてもらったら「ありがと」
追加の注文があるかと聞いてもらったら「ありがと」

それで思い出したけれど、
改札で「ご乗車ありがとうございました」と
どこか気だるそうに言っている駅員さんにも「ありがと」と言っていた。

ちょっと会釈することはあれど、
普段なら何も言わず「まあサービスを受けてるわけだし」と
そこまで「ありがと」の連発を、私はしたことがなかった。

言われた方も、最初は「えっ?」とびっくりするのだが、
あまりにも度々、弟が言うものだから、仲居さんはニコニコしながら
「どういたしまして」と言ってくれるようになった。

仲居さんが瓶のオレンジジュースをおまけしてくれたのは、
弟の功績によるところが大きいと思う。

弟の、馬鹿真面目だけど、なんだか格好いいその姿を見て、
私は、大学生の頃の友人のことを思い出していた。

コンビニでアルバイトをしていた友人は言った。

「もう嫌になりそう。こっちがどれだけ笑顔で丁寧な接客をしても、
お客さんからはお礼を言われない。それなのに、小さな失敗をしたら、
すぐにクレームになる。それが仕事だから仕方ないけど」

あのときは「そういうこともあるだろう」と気にもとめなかったが、
仕事だから仕方ない、という諦めに、今は疑問を感じる。

友人の仕事はコンビニで滞りなく商品を売ることで、
丁寧に笑顔を振りまくことは、厳密には仕事ではないのだ。
それはただの、サービスだ。

サービスを過剰に求められ、頑張りに報いがなかった友人は、
ほどなくしてコンビニのアルバイトを辞めた。
今、コンビニはどこもアルバイトの人材不足だと言う。

弟は、やってもらって嬉しかったから「ありがと」と言った。
言われた方も、嬉しそうに笑ってくれた。
結果的に、良いサービスを提供してくれた。

ものすごくシンプルなやり取りだけど、
私は、弟が回している好循環が、とても尊いものに見えた。

もしかしたら、駅で会ったあのおばあさんに、
先に挨拶をしたのは弟の方だったのかもしれない。

「あっ、この人には頼っても大丈夫そうだ」と、
おばあさんに思わせる、弟の何かがあったんじゃないかと思う。

弟が、姉にとって誇らしくある日

昔、母は、同じく子育てをする知人からこんなことを言われていた。

「息子さんに障がいがあって、これから先も大変でしょう?」

天然である母はケロリとして、

「うーん、比べられるもんじゃないからわからないけど、息子がグレて暴走族に入ったり、ブラック企業に入って病んだり、詐欺師になったりしないって考えたら、どっちもどっちだと思う。子育てはみーんな大変」

と返していて、この人は本当にすごいなと思った。

「というか、息子より娘の方が育てるの大変だったよ。パソコンが好きで寝ずにずーっとチャットしてるし、先生と喧嘩するし、大学に入ったと思ったらベンチャー企業に入社するしで」

後に続く言葉を聞いて、娘の私は、ちょっと待って、とも思った。

大変かどうかはともかく、私は、弟は弟で良かったと思う。

障がいがあるとかないとかより、「人よりもできることが少ない」弟が、
自然と身につけた「人にたすけてもらうための行動」が、
本当に素晴らしく、誇らしく、私もこういうことができる姉でありたい。

みんなが弟をたすけてくれるのは、弟が先にみんなをたすけているから、かもしれない。
何も、支えたり、手を出すことだけが、たすけるわけじゃない。
普段から、ちょっとした心の壁を取り払うために、
挨拶をしたり、お礼をしたり。

それだけでも、人は「たすけあい」ができるんだ。

(写真:岸田奈美 編集:はつこ)