正直、「たすけあい」は難しい。なぜなら、気持ちの「余裕」がなければ、他人のことを思いやることができないからです。電車内で席を譲ってあげている人や、駅で迷っている人に道案内をしてあげている人をたまに見かけます。しかし、それを自分が常に意識をしてできるかというと正直わかりません。

今回のコラムでは、どうしたら身の周りの人にアンテナを立てることができるようになるのかを書いてみました。

自然とたすけの手を差し出せる人はきっと少ない

「日本人には心の余裕がない」

いつからでしょうか。そんなフレーズが、気がつくと耳馴染みのあるものになってしまいました。ネットの世界をチラリと覗くと、SNSや記事のコメント欄で、ひとりに向かってたくさんの人が罵詈雑言を浴びせているのをよく目にします。まるでやり場のない怒りをぶつける「的」を探し、標的が見つかるとみんなで一目散に石を投げるかのように。以前にも増して他人を認め、受け入れる余裕がなく、不寛容な空気が流れているように思います。

テクノロジーは日々進化を続け、そこだけを切り取ると「便利な世の中」が広がっているはずです。しかし、たくさんの悩みや理不尽が少しずつ解消されているか、誰にでも気持ちの良い社会に変わっているかというと、どうやらそうではないようです。機能的な豊かさを追い求める一方で、精神的な豊かさはどこかに置いてきてしまったのかもしれません。昔と比べて、街や家の近所で見られた「たすけあう風景」は少なくなったようにも思えます。

「心に余裕がない」

それは、自分にもしっかり当てはまる、現代の病気のようなものなのかもしれません。たくさんの、本当にたくさんの要因が絡まり、病は進行してしまっているのでしょう。

日々、他者へのアンテナを張り巡らし、「たすけあい」ができる人はある種、特別な才能を持っているんだと思います。相手がしてほしいことに気がつき、行動に移すことができる。それは訓練して意図的に実践してきた人か、無意識にできてしまうセンスの持ち主ではないでしょうか。

普段から意識して見ず知らずの人に「たすけの手」を差し伸べることが、なかなか実践できない人も多いはずです。しかし、それは自分の人生をちゃんと、一所懸命がんばっていることの裏返しでもあります。目の前のことに必死だからこそ、そうなってしまうのは仕方のないことかもしれません。

では、どうしたら他人や周りのできごとに対し気がつくようになり、たすけあいが増えていくのでしょうか。

それはまず「自分自身に対してちゃんと向き合ってみる」ことが大切なのかもしれません。つまり、自分の気持ちに素直になって、ちゃんと自身にご褒美をあげたり、いたわったりしてみることです。いっぱいいっぱいにならないように、気持ちの余白をちゃんとつくってあげるために。

ちゃんと怠ける妻と欲しいものをすぐ買う母、気づかい上手な二人の話

他人をたすけるにはまず「自分をいたわる」。気づかせてくれたのは、身近でよく人をたすけている私の妻と母です。

妻は自分自身の不調をすごく敏感に察知し、すぐに病院へ行ったり薬を飲んだりして体調管理を徹底します。虫に刺されたり手を擦りむいたりすると、聞いたことのない薬を用意して(買ってきて)これでもかというほど身体に塗ったくります。一日頑張った日は、張り詰めた糸が反動でだらんとゆるむようにちゃんとなまけることを怠りません。

そんな妻は、他人に対してもちゃんとケアをする意識を持っています。

例えば、私に過剰なほど薬を飲ませようとしたり、日光で肌が焼けてシミになるといけないからと日焼け止めを塗ったりするよう促します。道で困っている人を見かけたら放っておけずに、頭で考えるより先に行動しているし、なぜか街で外国人に道を聞かれることも多いです。急いでいて、困ってる人をたすけられなかったときは、「あの人大丈夫だったかな?」とずっと気にかけています。

一方、母は、自分が食べたい、欲しいと思ったものをすぐに買ってしまう人です。しかし、自分だけに優しいわけではありません。いつも会う人会う人にお土産をたくさん持たせてくれます。絶対に食べきれないし、そんなにいらないでしょうというくらい、紙袋いっぱいに焼き菓子やおつまみを入れて渡します。どんな気持ちでやっているのでしょうか。

細かいことを考えるより、「とにかく持って行って」という気持ちがあふれて止まることを知りません。自分にどこかあまくゆるく、ふわふわしている一方で、他人にも寛大なのです。そんな母の姿をみてどこか余裕のない自分を恥ずかしく思い、尊敬の念を覚えます。

そんな二人に共通しているのは、自分の気持ちに素直で、それをおざなりにしないということです。自分の気持ちに対して敏感に多くを気がつける人は、他人に対してもちゃんと気がついてあげられるのだと思います。

自分への優しさが他人への優しさへと広がっていく

自身の気持ちに注意を払って向き合い、いたわってあげることで、今度は目の前の身近な人に気持ちを配り優しくすることができます。そうすれば、少しずつ「たすけあいの輪」を広げていけるのかもしれません。

「たすけあいのあふれる社会」というとおおごとに聞こえるかもしれませんが、家庭や職場も「社会」だと思います。小さな社会です。大きなことは、まず小さく始めてみるのがいい。大勢の人のことを考えるより、目の前の身近な人に向き合ってみる。そしてもっと身近な自分のことをちゃんといたわってみる。

冒頭で、「人をたすける」のは難しい、と書きました。しかし、簡単なことでもあるのです。自分へ「たすけの手」を差し伸べてみる。それが一番近くで、一番気軽にできる「たすけあい」ですから。そして、自分から自分自身に差し出したその手は、少し遠くの誰かへ向いた「たすけあい」の手に変わっていくはずです。

私も仕事に熱中し、ついついハードワークをしてしまうことが多々あります。そんなときこそ、自分の中で気持ちの余裕をつくり、他者を思いやる気持ちを育んでいきたいと改めて感じました。