私は、昨年から奈良県に住みはじめました。

それまではずっと東京で暮らしていたのですが、誰かに会ったりどこかに行ったりするたびに、心の隅にもやもやっとした気持ちが残るようになりました。情報量が多すぎて、自分が好きなものや、やりたいことがよくわからない。気づけば誰かと比べてしまい、やり場のない気持ちを抱えながら悶々と過ごしていました。
そんな中、奈良に住んでいる人と縁があり会うことになりました。その人と話したのはほんのわずかな時間だったのですが、言動からやわらかく包み込むやさしい空気が伝わって、強く惹きつけられました。
そうして幸運にもその人から「一緒に奈良で働かない?」と声をかけてもらったのです。私の心は決まっていたので「はいっ!」と即答。すぐに転職し、奈良へ引っ越しました。

とはいえ、奈良は初めて住む土地。家族も友だちもいない状況で来てしまったので、最初は「寂しくなるだろうな……」と不安に思っていました。ところが4ヵ月経った今、まったく寂しさを感じないのです。

寂しくないのは、鹿がたくさんいるから……?

いえいえ!そうではありません!

ご近所さんのような距離感の人が周りにたくさんいるからです。小さなことでも声をかけ、気遣いの気持ちを態度で示してくれる。そのたびにガチガチに緊張していた私の心は少しずつほぐれていきました。県民性というものがあるのなら、奈良は思いやりに溢れた街だと思います。

今回は、私が実際に体験した話をご紹介します。

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先日、家の近所にあるカフェに立ち寄りました。

おいしいコーヒーが飲みたかったのと、豆を挽く器具が欲しくて店員さんに色々と相談しました。店員さんはうなずきながら私の話をゆっくりと聞いてくれて、そしてゆっくりと説明してくれました。わずか10分ほどの出来事だったのですが、声のトーンや話すスピード、言葉の選び方から、私に寄り添ってくれていることがわかり、心地よい気分で満たされました。

家に帰ってからも良い気分は続いて、今でもコーヒーを淹れるたびにその店員さんのことを思い出します。

数日後、またそのお店へ行ったら、店員さんはこう話しかけてくれました。

「あの後、器具の調子はいかがですか?何かご自宅で淹れていてお困りのことがあったら言ってくださいね」

声をかけてもらったうれしさと、あのとき感じた心地よさがまた込み上げてきて、
前回よりもさらに饒舌になり、色々と相談しちゃいました。覚えてくれているだけではなくて、さりげなく気遣いの声かけまでしてくれる。決してマニュアルに沿った態度ではないのです。

同じような体験を、他の飲食店でもしました。

行きつけの和菓子屋の店主さんは、私が一人暮らしだということを知ってからか、いつも賞味期限のことや冷凍保存について細かくアドバイスをしてくれます。

居酒屋の店主さんは、私と一緒にいた友だちが「子どもができてからカフェインが飲めなくなった」と話していたら、食後にさりげなくメニューにはないルイボスティーを出してくれました。

どのお店にも共通しているのは、押し付けではなく、相手への関心をさりげなく示してくれるということ。お店のドアを開けるたびに人のやさしさにふんわり包まれたようなあたたかさを感じて、第2の家のように通いたくなる場所が、近所にはたくさんあります。

さらにもう1つエピソードを。

気持ちが良い天気の日に、私はベンチでパンを食べていました。
近所のおじさんが前を通ったので、なんだか恥ずかしくてパンをサッと隠したら、

「ここで食べるの、いいねぇ。この場所を選んだ君、センスいいよ」

と言って通り過ぎていきました。

ちょっと、怒られるかな……とも思っていたので、褒められた!となんだかとってもうれしくて。パンを頬張る私の姿を見て本当にいいなぁと思ってくれたのでしょう。その気持ちをそのまま素直に口に出してくれる。散歩していると、そういう人たちとの出会いが多いんです。

冒頭で書いた「寂しくない」というのは、きっと周りの人たちの思いやりのおかげで、自分がこの街で「存在を認められている、大切にされている」と感じることが多いから。そして、最近気づきました。それが自分にとっての『居場所』につながっているということを。

奈良は、大きな建物がなくて、空が広くて、自然に溢れている。そういう土地柄もあるのでしょうか。

住んでいる人もおだやかでゆっくり時間が流れていて、何より人に心が向いている。相手に興味をもって、どういう言葉なら心地いいかを選んで発したり、態度で示してくれる。思いやりの精神が、身体に沁みついているのだと感じます。

そんな彼らはきっと、誰かになにか困ったことが起きたとしたら、すっと手を差し伸べることができるのだろうと思います。あえて「たすけあい」を意識しなくても、日常的に「たすけあい」を積み重ねているし、その精神が当たり前のこととして根付いているので、私も安心して暮らせています。

些細な声かけや態度に私はこんなにもすくわれたのだから、これからは私も目の前の人に心を向けていきたい。そう思えただけでもこの場所に来て暮らしてみて、心からよかったなぁと思います。

(写真:きょうこ 編集:はつこ)