「私たち夫婦は、たすけあうことができない」

絶望的な気持ちになったのは、今から約7年前。長女5歳、次女2歳、三女0歳6ヶ月の頃でした。

三女が、マジで、寝ない。

寝かしつけに手を焼く親は多いと思いますが、私もそのひとりでした。

思っていたのと違う。

私「ねんねよ〜」
三女「ぎゃー!」
私「おっぱいかな〜?」
―飲みながらウトウト
―数分後、目を『カッッ!』と見開き再び「ぎゃー!」
私「抱っこ紐で寝かしつけてみよう…かな……?」
三女「(抱っこ紐からずり落ちる勢いで)ぎゃー!」
私「なんで寝な、い」
三女「うぎゃー!!!」
私「もう……寝」
三女「ぎゃー!ウワーン!わあああ!」
私「うあああああああ!」

何をしても寝ない0歳児。
パニクる29歳(現在36歳)。

毎日の3人育児に追われ、寝ない三女に心身ともに疲弊していたあの頃。
その日も私は三女を抱っこしながら、散らかり放題のリビングを、ただひたすら目的もなく歩いていた。いくら歩き回っても三女は寝ないし、単調なリズムに合わせて歩くと、眠気が襲ってきて子どもを落としそうになる。

危ない……。

そう思い、ソファーで休憩すると大泣きされ、また歩き出す。

子育て経験者ならわかると思います。子どもは立って揺られるのが好きなんですよね。座った状態で同じように揺れても、親の心を見抜くかのように、「立て!」と言わんばかりに泣きわめきます。

どんなに寝不足でも昼間は2歳の次女もいるし、長女の幼稚園の送迎があります。

夫は翌日も仕事があるし、専業主婦の私が平日の育児、特に寝かしつけは全て負担して当たり前だと思っていたけれど、体力的に辛いし、子どもに当たってしまいそうになる。子どもが泣くと心臓がドキドキしてしまう。

「誰かたすけて……」

そんなすがるような気持ちで、私は夫に、

・三女が夜寝ない、日中は上の子の育児があって睡眠時間が取れない
・子育てを放棄して逃げ出したくなるときがある
・とにかく辛い

と伝えました。

夫の言葉に絶望してしまった理由

夫の答えは、
「それは辛いね……。休日は天気が良ければ上の子2人を公園に連れ出すから、その間に寝たらいいよ!平日は、翌日仕事があるからなぁ……まぁ、できる範囲でサポートするから」

というものでした。

サポートしてくれるなんて素敵な夫じゃないか!という指摘もあるかもしれない。

しかし当時の私は、夫に絶望しました。

天気が良ければ……
仕事があるから……

今だったら「おいコラ」と、「寝言は寝てから言え」と言えるかもしれないけれど、当時は寝不足でやり合う元気もありません。

私は、夜間にひとりで子どもをあやす孤独感や、寝不足でも休む間なく繰り返される家事・育児から永遠に解放されないような不安に、押し潰されそうになっていました。

夫の提案は、夫の良きタイミングで、夫のコンディションが整っている状態のときだけ、私の背負っている荷物を一瞬持ってくれるようなものです。背負い直せば、また同じだけの荷重がかかってくる。

私は荷物を持ってほしいわけではなく、肩がもげてしまいそうなほど重い荷物の中身を、ほんの少しだけ夫のリュックに詰めさせてもらえないだろうかと。
「いつでもたすけるよ」そんな言葉を待っていたのかもしれません。

先の見えない坂道を、(次はいつ荷物を持ってもらえるのだろうか……)と不安を抱えながら希望を心待ちにして歩くより、少しだけ軽くなったリュックを背負い、笑顔で歩きたいと思っていました。

わかり合うことと分かち合うこと

例えば、電車やバスの中で子どもがぐずって泣き始めると、お母さんは慌てて抱っこして一生懸命あやします。子どもが泣かないように、早く目的地に着くように、万が一泣きだしたときは隣に座る人が優しい人でありますように……と祈るような気持ちで、不安を抱えながら外出しています。
周囲が常に快く、子連れの外出を受け入れてくれるような世の中であれば、外出時の不安や疲労は減り、その分お母さんの笑顔は増えるのだろうけど……。

現実は「たすけてくれる人もいる」けれど、怪訝そうな顔をする人もいます。

みんなが子育て経験者ではないので、お母さんの気持ちを理解することは無理かもしれません。
しかし、互いにわかり合えないことを互いに自覚し合いながら、「赤ちゃんは泣くものだよね。仕方ないよね」そんな気持ちを、分かち合うことはできるのではないかと思うのです。

生まれたとき、一人一人にリュックが渡されたとするならば、抱えている荷物が多い人の荷物は分け合って、たすけあえばいい。
荷物が増えてしまって「お…重たい……」と言っている人がいれば、「少し持ってあげようか?」と気軽に声を掛けられたら素敵だと思う。

なぜ荷物が多いのか、なぜ多くなってしまったのか、わかり合うことは難しいかもしれないけれど、荷物の多さを分け合うことはできるかもしれません。

大きな社会から、家族・夫婦という小さな社会まで、少しだけ軽くなった荷物を背負い、笑顔で歩き出せる人が増えればいいな。そんな「たすけあい」ができるといいなと思います。

「私たち夫婦はたすけあうことができない」
そう思った7年前のあの日。

夫の言葉に絶望した私は、「その提案は、ないと思う!」と鼻を膨らませて怒り、思わず家を飛び出し、変な柄のパジャマを着ていたことを思い出し、「このパジャマ姿で、どこをほっつき歩くおつもり?」と冷静になり、家に戻り、再び夫と話し合い、寝不足が続くときは夫に協力してもらいながら、気づけば三女の「寝ない」問題は、問題ではなくなっていました。

今でも相手のことを完全に理解できるとは思っていませんが、大変さを分かち合い、共有しながら「たすけあって」暮らしています。

あれから7年経ち、長女はもうすぐ中学1年生、次女は4年生、私を不眠に追いやった(笑)末っ子は1年生になります。

抱っこしていないと泣いていた我が子には、もう会えません。
私の姿が見えなくなると泣いていた我が子にも、もう会えません。
毎日子どもとベッタリ過ごした、息が詰まりそうだったあの時間は、もう戻りません。

「なんであんなに寝なかったんだろう(笑)。今は、起こしても起きないくらい寝るのに……」

と、今では笑い話です。

「私たち夫婦は、たすけあうことができる」

あのとき私の声に耳を傾け、私の荷物を少しだけ自分のリュックに詰めてくれた夫には感謝の気持ちでいっぱいです。

おしまい。

(写真:高桑のりこ 編集:はつこ)