猿が恋して僕らが生まれた、人類史上最高のラブロマンス
深夜。とあるテレビ番組を観ていたときだった。
たまたまテレビの向こうの人類学者が「昔、猿人のオスがメスに食べ物をプレゼントしたことがきっかけで人類は繁栄した」という話をしているのを観て、その遥か昔のラブロマンスになぜだかいたく感激した。
僕たちは、オスがわざわざ採ってきた木の実を、好意を抱いたメスにプレゼントしたことがきっかけで生まれたのだ。
そのできごとは、アメリカの人類学者のオーウェン・ラブジョイ教授が唱えた「食物供給仮説」というものらしい。
詳しい話は、人類が二足歩行をする必要に駆られた瞬間にさかのぼる。
そもそも、人類が歩き始めたのはなぜか。それまで主な食料は高い場所にある木の実などだったが、あえて地上に降りて慣れない移動手段を選んだのには何か大きな理由があったはずだ。
それは、木の実を採れない仲間に食料を届けてあげるため。ラブジョイ教授は「オスが直立二足歩行で自由になった手で食物を運び、特定のメスに供給した」と推測している。
なるほど。食料を効率よく運ぶためには、口ではなく両手を使って抱えるのがいい。メスはより多くのプレゼントを持ってくるオスを好むため、次第に二足歩行の上手な個体が選択されていった。
貴重な食物を発見したオスがすぐに自分で食べてしまうのではなく、それをメスのところへ運ぶという行動は、ヒト以外の霊長類の中では見られないものだという。そこには確かに、「誰かのために何かをする」という意志が在る。他者を好きになり、贈り物をするという一連の行動は、遺伝子レベルでヒトだけが可能とする特別な儀式なのだ。
これが、僕らが生まれながらに持つ「思いやりの心」や「人を好きになること」の起源なのかもしれない。さらに、その「起源」の根拠は他にもある。
180万年前の原人が発見された東ヨーロッパはジョージア・ドマニシ遺跡で、歯のない頭骨化石が見つかった。普通の動物は歯が半分近くなくなると、食べることがままならず死んでしまう。ところが、この個体が生きていたということは周りが老人をケアしていたと考えられるため、一番古い介護の例と言われているそうだ。
およそ1000年前に書かれた『源氏物語』では光源氏の恋愛模様が描かれた。さらに遡ることおよそ700万年前、ヒトは同じように恋をしていた。そして、そこから永い歴史を積み重ねていった。過去を遡れば遡るほどに、この先も同じ真理を強く信じられる。
他者を慈しみ「たすけあう」こと。その気持ちが、生きる上での本質的なヒトの営みだということを教えてくれた。
幸せになるカギは、他者を想うことと、自分を想うこと
『幸福研究ジャーナル(Journal of Happiness Studies)』という雑誌に掲載されたアイオワ州立大学の調査では、「他者の幸せを短い間でも心の中で願うことで、幸福度が高まりストレスが減少する」という結果が発表された。
この結果を見て、確信がさらに強く固まった。僕は、幸せになる方法は二つしかないと思っている。それは、自分を大切に想うこと。そして、もうひとつは、他人を幸せにすること。
禅問答的ではあるが、これにはもちろん自分なりの答えがある。
どういう意味かというと、人は自己の延長線上の範囲で比較することでしか他者の気持ちを想像できない。
例えば、目の前に苦しんでいる人がいたとする。その苦しみは自分の経験や感情をモノサシにして、その長さの範囲でのみ推し量ることができる。つまり、本当に自分のことを大切に想える人しか、他人を大切に想うことはできない。
反対に、どれだけ自分を大切に想えるかどうか、自己肯定感を持てるかどうかは、外部から与えられるコトがきっかけになる。例えば、「好きです」「あなたが大切です」と言ってもらうこと。たくさん、愛してもらうこと。
それらは自分から何かアクションを起こすことで与えられる。
だから自分を大切に想えるように、自分から他人を喜ばせてあげればいい。プレゼントしてあげればいい。もし、困った人がいたら手を差し伸べてあげればいい。
僕は、ラブジョイ教授が唱えた「食物供給仮説」を信じたい。なぜなら、人は幸せになるために生きているから。幸せになるためには、他人を想い、プレゼントしてあげることが大切だから。
遥か遠い昔、たったひとつの愛が僕らを生んだのだとしたら。「たすけあい」は史上最高の営みだと、僕たちがここにいて、生きていることがその証明になっている。
人類の起源は「たすけあい」だった。それは、全く大げさではないのだ。
(イラスト:シムシム 編集:はつこ)