年末年始に体調を崩して入院をしていた。
僕の口癖は「元気があればなんでもできる」なのだが体調を崩してみるとわかる。

「元気がないとなんにもできない」

猪木イズムも病気の前では無力。そんなことをひしひしと感じた。普段僕が元気に働いていられるのも健康あってだ。

「健やかなる精神は健全なる身体に宿る」とも言われているが、体調を崩すと気分も下がりそれが続くと段々とネガティブな気持ちになる。

「なんでこうなっちまったんだ……」

39.7℃のぼーっとした頭でそんなことを思いながら、ひとりぼっちの大晦日を過ごした。入院なんて何年振りだろうか。家族でゆっくりとした年末年始を過ごすはずだったのに……。

寝ているだけで特にやることもなかったので、病室の天井の写真を撮り「知らない天井」とコメントをつけてツイートをするとたくさんの人からリプライが送られてきた。

「入院ですか? 心配です」
「大丈夫ですか?」
「え? どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
「ゆっくり休んでください」
「お大事にしてください」

そんな温かいメッセージがフォロワーさんたちから100件近く届いた。中には可愛い猫の写真を送ってくれる人がいた。仲の良い会社の同僚からは「ウケるんですけどw」とDMも届いた。病気のときに笑い飛ばしてくれるのもまた優しさだと僕は思う。

いつも僕はこんなに温かい人たちに支えられ、見守られながら生きているのかとしみじみ感じた。
病気になって元気がなくなると、気持ちも沈みがちになる。しかし弱ったときだからこそ優しさに敏感になれる。フォロワーさんや友達から送られてくる励ましの言葉を読みながら「ありがてぇ〜ありがてぇ〜」と僕は枕を濡らした。

優しさを感じたのはそればかりではない。
病棟で働く看護師のみなさん、お医者さんにもこの場を借りてお礼を言いたい。本当にありがとう。医療従事者は年末年始も関係ない。みんなが紅白歌合戦を観ているときも、除夜の鐘が鳴っているときも、病院で働く人たちは点滴をかえたり、ナースコールに対応したり、一晩中患者さんをサポートしているのだ。それを年末年始関係なく一年中やってくれている。

僕は喉の炎症が酷く呼吸困難になる可能性があったので、ちゃんと息ができているか、看護師さんは夜に何度も確認しに来てくれた。

「僕の命を守ってくれてありがとう」と心の底から思った。本当に看護師さんは白衣の天使です。命の守り神です。

夜中に巡回してくれている看護師さんに、潰れかけの喉から声を振り絞って「大晦日なのにお疲れさまです。ありがとうございます」とお礼を言うと「せっかくの大晦日なのに入院になっちゃって残念でしたね」と優しく声を掛けてくれた。

僕は思った。
『あなたさまもせっかくの大晦日なのに働いているではありませんか!!』
そんな僕の想いが伝わっていたかは分かりませんが、看護師さんは当たり前のようにテキパキと僕の看護をしてくれた。

年が明けて元旦。
「あけましておめでとう〜」と家族がお見舞い来てくれる。点滴をしている僕を心配そうに見ながら、息子たちが手紙を渡してくれた。

「パパはやくげんきになってね」

字を覚えたばかりの次男が書いてくれた手紙を読んで泣く。言葉ってこんなに嬉しいんだ。しかもお気に入りのぬいぐるみを2匹も差し入れてくれた。本当は5匹持ってこようとしていたらしい。そんなエピソードを嫁から聞いて心がまた温まる。

嫁は初売りでフッカフカの柔らかい生地のパジャマを買ってきてくれた。その柔らかさが弱った体に染みる。

「やわらけぇ〜ありがてぇ〜」

入院している僕の体は優しさに対して超敏感な受容体と化していた。病気は苦しいけど気づきがある。気がつくことさえできれば世界は優しさで溢れている。

普段は意識しないけど、家族や周りの友達、SNSで出会った人たち、みんなが寝ている時間に働いてくれている人たちにたすけられながら生きているのである。
病院での手厚い治療のおかげで今はもうすっかり元気になった。

これからは周りで弱った人がいれば、僕がたすけてあげる番なのだと思う。できることは限られているかもしれないけど、せめて優しい言葉を掛けてあげたい。何気ない言葉でも人はたすけられるのだと、僕はこの年末年始にしみじみと感じた。

(イラスト:シムシム、編集:はつこ)