今から約30年前、僕は中学1年生でした。

1980年代の終わり、『3年B組金八先生』の世界がリアルだった時代、僕が通っていた中学もそれになりに荒れた学校だった。

金属バットを使ったケンカもあれば、隣の中学が原チャリで攻めてくることも度々。割れた窓ガラスも、壁の落書きもドラマの世界の話ではなく、全部現実だった。
そんな学校で教壇に立つ先生たちは、金八先生のように無償の愛で生徒に接する人は少なく、割と平気で生徒を裏切ることがあり、僕も何度かその被害者になった。

これは、そんな散々な学生時代に、僕のその後の人生をずっとたすけてくれる「あるもの」と出会った、ちょっとした奇跡の話です。

平日午前の映画館

そんな学校での状況に加えて、家に帰れば両親が、祖父母の介護問題で離婚寸前のケンカを毎日繰り広げていたものだから、「自立神経失調症」という病気になり学校も休みがちになった。いじめられっこでなくても、不登校にはなるのです。

学校に行けないことを親には言えずにいた僕は、家を出ると他の友達に会わないように、空き地にある手付かずの倉庫に隠れて夕方まで過ごしたり、学校とはだいぶ離れた繁華街をフラフラして1日を過ごしていた。ある日、とくにきっかけがあった訳じゃないが、もっと遠くへ行ってみたいと思い、電車で20分かけて大きな街にある映画館に行った。

今思えば、制服を着た中学生が映画館に入れたのが不思議でしょうがないけれど、当時はそれが可能でした。午前中の映画館といえば、仕事をさぼっているサラリーマンと、授業をさぼっている大学生たちと、所在も年齢も不明な怪しい人たちが、パラパラと数人いるだけ。暗闇の中で学生服も目立たない僕は、劇場の一番真ん中の特等席に座った。(当時は座席も出入りも自由だった!)

そのとき上映されていた映画は「ニュー・シネマ・パラダイス」(ちなみに初めて映画館で観た映画は「バック・トゥー・ザ・フューチャー PARTⅡ」)。1988年公開のイタリアの映画で、監督はジュゼッペ・トルナトーレ。主人公は中年の映画監督。彼があるきっかけから、映画に夢中で映写技師の元に通い詰めていた少年時代と、恋を経験する青年時代を回想する物語。

初めて聞く監督の、初めて観る国の映画が、腐りきっていた僕の心を救ってくれた。

映画にたすけられた僕は、映画で人をたすける

映画監督が主役の映画だけあって、映画愛に満ち溢れた作品でした。
ラストシーンで、当時上映禁止でカットされていたキスシーンのフィルムだけをつないだ映像を見て涙する、映画業界で成功を納めた主人公を見て、僕は勝手に自分の姿を重ね合わせていた。

映画館を出た僕は、「映画をつくる人になろう」という雲をつかむような夢を抱いていた。
今でも鮮明に覚えているが、「僕がつくった映画で、僕みたいな人を救おう」とまではっきりと決心していた。

そのあとすぐに学校に行けるようになったかは記憶が定かではないが、中学2年の半ばくらいから心許せる友達もできて、相変わらずケンカも暴力も、教師の理不尽もあったけれど、うまくやりくりして過ごせるようになった。

誤解を恐れずに言うと、夢を持ってから「現実を直視しすぎない生き方」を身につけられた。僕は「ここ」を目指しているのではない、いつかたどり着く「あそこ」を目指しているんだと考えると目の前のゴタゴタが至極滑稽に見えてきた。

大学受験の浪人時代に阪神大震災が起きたことが僕の夢を加速させた。20歳のときに大学を中退して渡米、アメリカの大学の映画学部に入学した。2001年、911のテロが起きて、使命を達成する機会が訪れた。

僕は誰かを救うために映画を作る。当時のアメリカ政府の体勢に異を唱える様々な国の学生たちと「反戦映画」を作った。制作段階から日米の新聞に取材され、その活動自体が、決して会うことのない人たちへのメッセージとなり、さらにその先にいるたすけが必要な誰かに手を差し伸べるきっかけになったと信じている。

『小さな奇跡』は誰にでも起こせる

26歳のときに日本へ戻ることになった。
明日帰国という日、大学に併設された映画館では過去の名作の「デジタルリマスター版」が日替わりで上映されていた。その日の上映作品は、「ニュー・シネマ・パラダイス」。14歳のときに学校をさぼってたまたま観た映画を、アメリカ生活最後の日に観るなんて。エンリオ・モリコーネのテーマ曲を数小節聞いただけで、涙が止まらなくなった。

帰国後、僕が就いた職業は映画ではなく、広告制作。
広告は、企業の商品やサービスをいかによく見せるかが使命だから、人だすけとは少し遠い気もするが、その商品が売れて会社が儲かり、その会社の家族が幸せになれるという思いで今の仕事も楽しく続けられている。

広告をやりながら映画もつくっています。400年続く伝統工芸の職人の物語、性虐待・児童虐待を題材にした作品、東北の震災をモチーフにしたパペットアニメなど。映画を通して、誰かを元気にする、誰かの背中を押す、ただただ、14歳のときに自分が経験したことを次の誰かに伝えるために。

僕はたまたま映画を選んだけれど、音楽でも、小説でも、詩でも、絵画でも、写真でも、漫画でも、同じことができると思っている。自分の思想や理想をただ形にするというアーティストもいるかもしれないが、他人が触れることができる作品であるのであれば、何かしら人の心をポジティブに動かすことができると信じている。

そしてそれは、別に仕事でなくても、お金をもらわなくてもできることだと思っている。

例えば、今朝見た朝日の写真や、家族や友達に言われて嬉しかった言葉をSNSに投稿するだけでもいいんです。子どもとの何気ない日常をイラストにしてみたり、好きなアーティストのヒット曲をカラオケで歌ってみたり。大切なのは、ポジティブな気持ちやエネルギーを自分の中だけに溜め込まず、見知らぬ誰かに届けること。それが誰かをたすける力になることだってあるんです。

リアルな世界で困っている人に声をかけるのが苦手な人もたくさんいるでしょう。そもそも人だすけが必要な場面に遭遇しないなんてこともあるでしょう。まずは、シンプルに、良いと思ったこと、美しいと思ったことを、外へ向けて発信することから始めてみてはどうでしょうか。「モノを通したたすけあい」から始めてみると、その先で「リアルなたすけあい」の行動を起こせるかもしれない。たすけあいの輪はそうやってどんどん大きくなっていくのではないでしょうか。

僕は14歳のときに訪れたあの映画館を出た瞬間から、その心構えを大切にしてきました。しんどいこともたくさんあったけど、いい映画や音楽、小説にたすけられたことが何度もあった。たすけられたら今度はたすける番、自分がつくるものを通して少しずつ誰かにその思いが届くことを信じて。

(イラスト:シムシム 編集:はつこ)