2019年12月。
都会の震えるような寒さに耐えられず、温かい場所へ行きたくなった。
母に「寒さが限界です」と、LINEを送る。
ポンッという音がして、母から返事がきた。
「それはもう、沖縄やな」

旅行と鉄鍋は似ている

沖縄は母が退院して初めて行ったときから、今や家族旅行先の定番になった。
だから、こういうLINEのやり取りは、度々行われる。

今回は、母と弟と私で、2泊3日。
何度も沖縄へ行っていると、どんどん、自分たちの細かいライフスタイルにあう旅へとアレンジできるようになっていく。
年数をかけて油が馴染んでいく、鉄鍋みたいだなあと思う。
使いやすく、美味しく、愛着が湧く。そんな感じ。

例えば、手動装置付きのレンタカーを借りること。
少し前まではタクシーやバスを使っていた。
でも、車を自由に運転し、海を横目に風を切る気持ちよさは捨てがたい。
下半身麻痺の母が手だけで運転できる車を貸してくれる店を探し当ててから、
同じ店にもう何度もお世話になっている。

そして、昼食は必ず、沖縄そばを食べること。
私の家族は全員、沖縄そばが好きだ。
三食、沖縄そばでも良いくらいだ。
ちなみに母は毎年「麺オブ・ザ・イヤー」という賞を勝手に設定し、
勝手に表彰している。

あとは、ホテルじゃなくて、コンドミニアムに泊まること。
なんというか、私の家族は、起きない。
全然起きない。めちゃくちゃ寝る。冬の熊のように寝る。
そして春先の熊のように各々のっそりと起き出して、食料を探り、また寝る。

自由すぎて、朝食や掃除の時間が決まっているホテルだと、不自由になるのだ。
ホテルのお高い朝食券をもらっておきながら、
目覚めた頃には提供が終わっていたときの悲しさったらない。
キッチンや洗濯機などの設備があるコンドミニアムなら、
自分たちの好きなタイミングでご飯を作れるし、コーヒーも飲める。

これだけ自分たちの等身大に合った旅ができるようになると、
達成感と安心感で、ホクホクする。

そして旅行当日、私たちはホクホクしながら、那覇空港へ飛んだ。飛行機は、3人横並びで座った。
離陸して横を見ると、母と弟がもう爆睡していた。熊か。

那覇空港に到着して、レンタカーを借りた。
いつも同じお兄さんが、貸し出しの担当をしてくれる。
「Twitterとnote、読んでますよ〜」と言われた。照れるじゃんか。

まず目指す先は、新しくできた沖縄そば屋。
着いてから、お店には階段があり、席はカウンターがメインだとわかった。
テーブル席が1席あるように見えたけど、他のお客さんが座っていた。

どうしようかと思っていると、店長さんが出てきた。
「お手伝いしますか?」
「あ、でも、テーブル席は空いてないですよね?」
「ああ! ちょっとお待ちくださいね」
店長さんはお店に引っ込み、テーブル席のお客さんに話しに行った。
「申し訳ないからそれは……」と断りに行くより早く、お客さんはあっさりとカウンター席へ移動してくれた。
店長さんもお客さんも、ニコニコしていた。どうやら顔なじみのようだった。
「ありがとうございます、すみません!」
「いえいえ〜。また気軽に来てくださいね」
「楽しんでね〜!」
気軽に、という言葉に、救われる。
この心地の良いゆるい優しさで、今年も沖縄に来たなあ、と実感した。

私もこんな余裕を、いつも持ちたいものだ。
ああ、私はまだシーサーの足元にも及ばない。
……とそれっぽいことを言いたいがために、この写真を一生懸命撮った。

写真から教えてもらったこと

写真と言えば、特別な写真を撮ってもらった。
弟のことを書いたnoteを読んで「会いたいです」と言ってくれたカメラマンがいた。

沖縄に住んでいる、川畑樹利佳さんだ。
瀬長島で家族写真を撮ってくれると言うので、甘えることにした。

め、めちゃくちゃ良い写真〜〜〜〜!
川畑さんには私たちがこんな風に見えているのか、と思うと嬉しくなった。

そして、私が気づかなかったことを、写真は教えてくれた。

私たちは、気を抜くとすぐに、縦に並んで歩く。
沖縄じゃなくても、地元でも、東京でも、だいたい縦に並んで歩く。

先頭が母で、最後尾が弟で、真ん中に私。
二人で歩くときも、横ではなく、縦だ。
全員、歩く速さが違うからだ。
相手に無理して合わせるのではなく、それぞれの歩調で、好きに歩く。

ところで。
縦に並んで歩くことを巷では「ドラクエ歩き」と言うらしい。
ちなみに横に並んであることは「オーシャンズ11歩き」と言うらしい。
……ほんまかいな。

ドラクエ歩きは、なかなか良いぞ。
先頭が歩く順路に従えば、安全だ。
家族の中では母が一番、方向音痴ではないから、理にかなっている。

落ち葉や雪の道は、先頭によって踏み固められる。
後に続く人は歩きやすくなるのだ。

坂道になり、母が苦しくなると、
私と弟が無言で集まってきて、押す。

押し終わったら、また自然と、縦並びになる。

きっと私たちの人生も、そうだったのだ。

縦に並んで歩いてきた。

強く優しい母がいつも、人としての歩き方を示してくれた。
でも、母は、行く先まで決めることはなかった。

私が道を調べたり、弟が気ままに寄り道したりした。
家族で歩調を合わせるのではなく、思い思いの歩調で歩いた。
でも、誰かが苦しくなったら、集まってきて、歩調を合わせた。

ある日から、母は車いすに乗るようになった。
でも、足で歩けなくなっても、前に歩むことはできる。

帰りの飛行機、私たちは3人横並びで、ぐうぐう眠った。
また明日から、縦並びで。人生を、歩いていく。

(写真:川畑樹利佳、岸田奈美 編集:はつこ)