カンボジア行きを夢見た日

きっかけは小学校の授業だった。

4つの机を内向きに突き合わせて班をつくると、広くなった机上で絵本を開き、ひらがなの文字の上から、カンボジアの言葉であるクメール語訳のシールを1行ずつ貼る。

間違えないように確認しながら、みんなでもくもくと。魔法の呪文のような文字が並んだシールを丁寧に日本語の上から貼っていく。

全てのページにシールを貼り終えると、最後のページに自分の名前をクメール語で書いた。お手本を見ながら書いても、呪文のような文字は難しくてぶかっこうだった。

絵本はカンボジアの小学校に届けられる。カンボジアという国は、戦争の影響で今も貧しい生活をしている人がたくさんいる。学校だって先生だって授業の道具だって足りない。だから日本のみんなが毎年捨ててしまうような教科書を、カンボジアの子どもたちは何度も繰り返し使うと教わった。今日シールを貼った絵本も喜んでもらえて、きっと長い間大切に読まれるだろうと先生が言っていた。

その話を聞いて、小学生のわたしはカンボジアの人を「たすけてあげたい」と思った。そして自分の名前が書かれたこの絵本が届く国に、いつか行ってみたいという夢ができた。

10年越しの夢を叶える

小学生の頃に描いた夢は、ずっと心の隅に残っていた。

大学卒業間際に、わたしはやっとカンボジア行きを決めた。
ネットでひとり申し込んだのは、6日間でアンコールワットをはじめとする遺跡群巡りや100万人の水上生活者が住むトンレサップ湖のクルーズといった観光と、孤児院や村の人の家、NPO法人の訪問といった学びの両方があるスタディツアーというプラン。

カンボジアに行くというと、バックパッカーや険しい道のりを自力で乗り越えないといけないイメージを持つ人もいるけれど、現地の移動は全て専用の車で、ガイドさんがついてくれるツアーがある。これなら運動不足で情報不足の怠惰な大学生でも行けそうだと申し込んだ。

ツアーに参加したのは10人ちょっと。たまたま全員大学生でみんなそれぞれひとりで参加していたから、すぐに仲良くなった。成田から同行してくれる日本の添乗員さんも、現地のガイドさんも気さくで、何不自由なくカンボジアのホテルに着いた。プールが見えるレストランでの朝食は南国のバカンスに来たような優雅さで、インスタ映えする写真を撮ってはしゃいだ。部屋のシャワーだって綺麗で、たまに水になるけどまあまあな水圧で快適だった。小学生のときに思い描いていたカンボジアとはかけ離れていた。

あとあとガイドさんから聞いた話によると、カンボジアの観光産業が盛んになったのはここ数年だということ。美しく貴重な遺跡がたくさんある国なのに、戦争によって埋め込まれた地雷の除去にたくさんの時間を費やし、やっと観光客を呼べるようになった。それでもなお、たくさんの地雷が残っていて完全に撤去するにはあと30年かかるらしい。

わたしはこの旅で、いくつかの遺跡をまわって圧倒された。壮大で美しく神秘的だった。その内の一つであるアンコール遺跡群が「また行きたい世界遺産」や「旅好きが選ぶ名所」といったランキングの1位常連なのも頷ける。

でも、それほど美しい景色よりも心に残っているのが、孤児院の子どもたちとの思い出だ。

「たすけてあげたい」だなんてわたしは

2日間に渡って訪れた彼らが暮らす孤児院は、水道なんてもちろんなくて井戸の水を汲んで使い、色々な国から集まったであろう服を身にまとっていた。小学校低学年くらいの子から高校生まで、様々な年齢の子どもたちが一緒に暮らしていた。彼らは両親が亡くなっていたり、家庭が貧しかったりという事情で孤児院に来たとガイドさんが言っていた。

小学生の頃に思い描いていたのに近いカンボジアの姿がそこにはあった。
けれど、「たすけてあげたい」だなんて思っていた小学生の頃のわたしをすぐに恥じた。

孤児院の子どもたちは、わたしなんて足元にも及ばないくらい「たすけあい」が上手で、明るく笑顔で自立していた。

生まれた場所も年齢も境遇も異なる子どもたちは、あたりまえにたすけあって生きていた。年上の子は年下の子を、実の妹や弟のように面倒をみていた。

たとえばご飯の時間になると、中学生や高校生は両手でそれぞれ小さな手を握り、手を洗うための水を溜めた桶に連れて行く。わたしたちにも、こっちの桶で手に石鹸をつけて洗って、こっちの桶ですすいでねと教えてくれた。

中高校生同士も協力しあっていて、ご飯の準備を手伝う子もいれば、特に小さな子につきっきりになっている子もいた。

きっと彼らは「たすけてあげている」なんて思わずに、あたりまえにたすけあって暮らしているのだ。

そんな子どもたちを前に、さあこれから自由時間!と言われても、わたしは何をしていいかわからなかった。

すると子どもたちの方から「ねえ、折り紙持ってない?」とキラキラした笑顔で集まってくれる。何度か日本人が来ているからか、自分たちの方から「やって欲しいこと」を教えてくれた。孤児院の子どもたちは、たすけを求めるスキルもわたしより何枚も上手だったのだ。

わたしは折り紙や塗り絵をたくさん持って来ていたから、子どもたちに折り紙を教えたり、塗り絵を楽しんだりした。もはやわたしの方がたすけられている状況は最初から最後まで続いた。

運動不足の大学生だったわたしは、しばらく小さい子と遊んでいると疲れ始めていた。もう子どもたちが本当に元気で、次は縄跳びをしようと誘ってくれる。その笑顔が嬉しくて重たい腰を上げようとしたとき、高校生の女の子が「お姉さんとちょっとこっちで話したいな」「あなたはあっちのお姉さんと遊んでおいで」と、わたしの手を引いてくれた。

何年もここで仲間とたすけあいながら育ってきたたすけあいスキルの高い彼女は、初対面のわたしをもその高いスキルでスマートにたすけてくれたのだ。すごい……。圧倒されているうちに日陰に腰掛け、始まったのは恋バナだった。

年上の恋人は背が高くて優しくて……

この孤児院では高校生くらいの子になると少し英語が話せた。その女の子は年上の彼が最高だという話をしてくれるも、当時のわたしは返せる話を持ち合わせておらず、一瞬彼女に「恋人いそうだと思ってこの話振ったのに、おらんのかい!」という顔をさせてしまったように思えた。

それでも、カンボジアの恋愛事情に興味津々だったわたしは、出会いから今どのように会っているかまで、最高な彼の話をニヤニヤと聞かせてもらった。
そうやって「ああ、たすけるどころかたすけられてばかりだ」と思いながら1日を終えた。

翌日孤児院を訪れると、恋バナをしたあの女の子は学校の時間でいなかったので、他の子たちと遊んでいた。午後になると、恋バナの女の子は帰ってくるなりまたわたしの手を引いてみんなと少し離れた場所に連れていった。

すると「あなただけよ、みんなに秘密だよ」とはにかみながら、前日に話していた彼の写真を見せ、さらに思い出話を聞かせてくれた。誰にも言わない約束をしたので書けないけれど、わたしはそれがすごくすごく嬉しくて忘れられない。

さらに彼女はわたしに「あなたはとてもいい人だからすごくいい恋人ができる!」と言い切ってわたしの背中をさすってくれた。これがまた忘れられない。この頃にはもう「カンボジアまで遥々励まされに来たわたし」ができあがってしまっていた。

彼女が別れ際にくれた手紙には「あなたはわたしのお姉さん」というメッセージと共に、改めて「あなたはとてもいい人だからすごくいい恋人ができる!」と書かれていた。この手紙はお守りとなり、彼女の言葉は日本に戻ったわたしをも救うことになった……。

そんなこんなで、孤児院の子どもたちのたすけあいスキルの高さに圧倒されながら、普段からあたりまえに仲間とたすけあっている人たちは、他人をたすけあいの輪に引き込むことも上手なのだと学んだ。たすけること、たすけを求めること、その両方が本当に上手だった。

彼らの姿を思い出し、わたしもまずは近しい人から、そしてだんだんと知らない人ともたすけあっていけるようになりたい。

お互いに、夢の一部になれたなら

6日間のツアーはその後観光へと移り、終盤を迎えた。

カンボジアは貧富の差が大きく、都市部には観光客向けの南国バカンスを楽しめるホテルやレストランがたくさんあるものの、郊外の村を訪れると、遠くの井戸水を使い、今にも床が抜けそうな高床式の家で暮らす人たちがいる。

それでも、わたしたちツアー客が訪問できる家や孤児院は、恵まれている方なのだろう。わたしはもっと過酷な環境で暮らすカンボジアの人々をきっと見ていない。

忘れられない経験ができたものの、たすけられてばかりで結局自分にできることがわからないままホテルに戻る車に揺られていると、カンボジアで生まれ育ったガイドさんが話し始めた。

「僕たちは、何が欲しいかと言われてもわからない。でも、日本人がこうやって来てくれると新たな夢を持つことができる。」

今は戦争がないだけで幸せだと感じているけれど、外国人が来て新たな世界を知ることで夢を持ち成長に繋がる。だからこうして来てくれることが嬉しいのだと語ってくれた。
ガイドさんは日本人をガイドしているうちに日本に行きたいという夢ができたらしい。

それを聞いて、カンボジアに来て何もできなかったと思っていたわたしも、もしかしたら子どもたちの夢の一部になれたのかもしれないと思った。いつかカンボジアに行ってみたいと思った小学生の頃のわたしのように。

実際に孤児院では、日本語のツアーガイドになりたいと言っている子やフランス語の先生になりたいと言っている子がいた。
今度カンボジアに行ったら、あのときの孤児院の子どもがガイドさんになって案内してくれるかもしれない。

またいつか、たすけあいの師匠たちへ会いにカンボジアへ行こう。
今度はもう少し恋バナも弾むかもしれない。