誰かの「得意」は、誰かを「たすける」ためにある
私がはじめて働いたのは、学生時代のアルバイト先のカフェ。そこで、チームワークを高めるために大切な3つのことを教えてもらった。
・いつも自信を持ち、高め続けること
・相手の話に耳を傾け、理解しようと努めること
・もしも困ったときは仲間にたすけを求めること
どれも当たり前のように思えるけれど、大人になった今だって、まだまだできていないことだらけだ。
「今日の自分はがんばった!」と自分を褒めてあげたい日もあれば、誰かの成功を見て「自分なんて……」と必要以上に卑下して自信を失ってしまう日もある。
相手の話を真剣に聞いて、思いを汲み取ることだって、意外と難しい。
何かに困っているときに小さなプライドがつい邪魔をして、素直にたすけを求められないときだってある。
「困ったときはたすけを求める」
シンプルでストレートなこの言葉を思い出して、私はそれまで「たすけあい」を必要以上に大きく捉えてしまっていたと気がついた。
「たすけあい」は特別なものじゃなくて、身近な暮らしの中にもあるもの。今日は、そんな小さな「たすけあい」をここにしたためてみようと思う。
「克服する」から「たすけてもらう」へ
昨年の夏、結婚して夫婦になった。
前から一緒に住んでいたから、大きく何かが変わったわけではない。けれど結婚してから「夫婦はチーム」そんな意識が少しずつ自分の中に芽生えていった。
彼は、整理整頓が得意だ。本はカテゴリごとにまとめて棚へ、書類はラベルを貼ったファイルのなかへ、画像やフォルダはPCのあるべき場所に常に保管されている。
一方、私は子どもの頃から整理整頓が苦手だった。いろんなサイズの書籍が無秩序に並ぶ本棚、いつのまにか居場所がわからなくなる書類たち、画像やフォルダが雑多に置かれたデスクトップ。毎年大晦日になると、自分の管理の甘さに後悔して泣きたくなるくらいだ。
でも、得意不得意が真逆だったからこそ、整理整頓は彼の担当になり、料理は私の担当に。相互に補い合えるような役割分担が自然とできていった。
「苦手なことは乗り越えるもの」
そんな風に今まで思っていたけれど、彼と一緒に暮らしていく中で、ときには人に頼っていいんだと気がついた。
無理して「克服する」のではなく、誰かに「たすけて」もらう。そう思えるようになってから、心の負担が少し軽くなったような気がする。
誰かの「得意」は、誰かを「たすける」ためにある
「いつもたすけてもらってばかり」
そんな風に今まで思っていたけれど、よく考えたら私の得意なことだって、知らず知らずに彼をたすけているかもしれない。
そういえば、私が朝ごはんをつくるといつも彼はちょっぴり嬉しそう。少し手の込んだ料理をつくったときは必ず「おいしい」と言ってくれる。
彼が料理に対して苦手意識があるかどうかは、わからない。でも、私の何気ない行動も、もしかしたら彼の暮らしをたすけているのかも。と考えられるようになった。
誰かの「得意」は、他の誰かを「たすける」ためにあるのかもしれない。そんな風に自信をもって、自分の長所を伸ばしていきたいと思った。
「たすける」ことは、自分を「たすける」こと
電車で席を譲ったり、困っている人の思いを汲み取って気を遣ったり、誰かをたすけたりしたときにもらう「ありがとう」のことば。
たった5文字の短いことばだけど、その一言があるだけで、ちょっぴり優しい気持ちになれたり、自分に自信を持てたりする。
そうやって、小さく誰かを「たすける」ことは、巡り巡って自分を「たすける」ことにもつながると思った。