方南町には、やさしいヒーローがいる。東京メトロ丸ノ内線の支線の終着駅、方南町。この駅では日々、緑のヒーロースーツを着た『ベビーカーおろすんジャー』が駅の階段でベビーカーをおろしている。方南町に住み自ら8年ものあいだこの活動を続けている彼に、同じくこの町に住み、おろすんジャーとも交流のあるライターくりたまきがお話をうかがってきました。

警察に通報もされた最初の1週間、奇跡が起きた。

くりた:『ベビーカーおろすんジャー』は、方南町でヒーローとして親しまれていますね。活動をはじめたきっかけは?

おろすんジャー:僕がおろすんジャーになったのは約8年前ですね。方南町の八百屋さんで働いてたら、ある日女性のお客さんが「これから新宿に行くんだけど、隣の駅まで歩かなきゃいけないから大変だ」って話してくれたんですよ。僕からすると「え、なんで?」って。詳しく聞くと「方南町駅にはエレベーターやエスカレーターがないから、ベビーカーを使っていると不便。方南町駅なら歩いて5分だけど隣の駅まで30分かけて歩いている」と教えてくれました。僕は毎日のように丸ノ内線に乗ってたんですけど、当たり前に階段を使ってたんで、方南町駅に当時エレベーターとエスカレーターがなくて困ってる人がいるなんて知らなかったんです。

くりた:ベビーカーで移動する方や高齢者の方、障がいのある方には、階段だけでは不便ですよね。

おろすんジャー:話を聞いて、ベビーカーをおろすのだったら僕でもやれると。すぐにできるって思ったんで、その翌日に駅の出入口に立ちました。

くりた:翌日?早い!

おろすんジャー:最初は「ベビーカーをおろします、声かけてください」って書いた看板持って、読書しながらヒーロースーツで座ってたんですよ。こっちからベビーカーを見かけたら声もかけて。

くりた:それは仕事の一環ではなく、ボランティアでやってたんですよね。

おろすんジャー:そうですね。趣味です。

くりた:趣味!ボランティアは趣味なんですか?

おろすんジャー:そうですね、ボランティアって…英語にすると、あんまりしっくりこないですけど(笑)。ボランティアと言ってもいいんだけど、ボランティアって言葉は、なんか“やってる感”がある気がして……。僕自身は趣味だと思っています。

くりた:こんなに素晴らしい活動をしているのに、“やってる感”はないんですか?

おろすんジャー:ないんです。ベビーカーをおろすって、誰にでもできることなんで。

くりた:でもなかなかベビーカーをおろすために駅に立つところまで行動に移せる人って、少ないじゃないですか?ましてや8年間も続けるなんて……。

おろすんジャー:この活動はゲームみたいなもんなんで。ゲーム好きな人がゲームをやる感じです。だから趣味なんです(笑)。

くりた:でもゲームには、クリアするとかプレイ中のお楽しみがあるわけじゃないですか。

おろすんジャー:それがね、本当にゲームみたいに、日々事件があるんですよ。
最初は罵声を浴びせられるところからはじまって。

くりた:えっ、ベビーカーをおろすという善意の活動をしていてですか?

おろすんジャー:最初の1週間くらいは、通りすがりの人に「怖い」って言われたり、「危ねえよ」って怒鳴られたり。警察の人も来て。

くりた:警察が来たんですか?

おろすんジャー:「駅に怪しい人がいるって通報きたんですけど」って警察の人に声をかけられて。でも看板を見て「今通報入っちゃったからきたんだけど、そういう活動してるんだね」と言ってくれました。ちゃんと説明したんで、怒られはしなかったんですよ。

くりた:わたしだったら、最初の1週間でそういうことがあるともう、ちょっと違うことをしようかなとか、やめようかなって思っちゃうんですけど…。

おろすんジャー:僕も、心が折れかけたんですよ。でも、はじめて1週間経ったとき、奇跡が起きたんです。

くりた:奇跡。

おろすんジャー:今まで8年間、何百人…いや何千人のベビーカーをおろしてきたんですけど、その中でも一番よろこんでくれた方が、本当に心が折れかけたときに来たんですよ。

くりた:どんな方だったんですか?

おろすんジャー:階段の下までベビーカーをおろしたら、もう、よろこんでくれて大号泣。その女性がこんな風に言ってくれたんです。「わたしは本当に他人に頼めない性格なんです。方南町から出かけようとなったらタクシーに乗って、タクシーの運転手にベビーカーをおろしてもらってました。だからすごくうれしいです、絶対この活動は続けてください」と。

くりた:それは手だすけした方もうれしくなりますね。そんなできごとが、心が折れかけたタイミングにちょうど。

おろすんジャー:ええ。これは活動をはじめてよかったと思いましたね。それからは、本当にスムーズで……ちょうどSNSが流行りだしていたころだったので、Twitterで「方南町に変なやつがいるぞ」と話題になりました。すると東京新聞さんが取材に来てくれたんです。新聞に載ると多くの方が知ってくれて、「ベビーカーをおろすヒーローだったんだ、危ないやつかと思った」って言ってくれる人もいて、誤解が解けていきました。誤解というか、ヒーロースーツなので一見危ないやつだと思われても仕方ないんだけど(笑)。そうやって徐々に認知度が上がっていきました。今も、いろんな事件が日々起きているので、飽きないです。

シャイだから、ヒーロースーツを着ている。

くりた:活動内容は素晴らしいんですが、緑のヒーロースーツ姿は……その、インパクトが強すぎて、誤解されてしまうこともあるだろうと思います。なぜその格好で活動することにしたんですか?

おろすんジャー:理由は、僕がめちゃくちゃシャイだからなんです。

くりた:シャイ。シャイ。シャイ?ヒーロースーツで町を歩いて通りすがりの人に挨拶している、陽気なおろすんジャーさんが?

おろすんジャー:方南町にいるあいだに多少は性格も変わってきましたが、昔は本当に人と話せなかったんです。じつはベビーカーをおろす活動をはじめる前に、私服で町の掃除をしていた時期もあります。でも「この町の人との交流が目的のひとつで活動しはじめたのに、全然誰とも話せてないな」と思って。

くりた:それはたしかに、シャイな人の悩みかもしれません。

おろすんジャー:これじゃダメだ、普通の格好じゃおもしろくないなって考えていたときに、当時僕は方南町のたこ焼き屋さんでアルバイトしはじめた大学生だったんですけど、「あれ?そういえばアルバイト中に宣伝でヒーロースーツを着ていると、子どもが寄って来るなあ。この格好なら交流しやすいかも」って気づいたんです。

くりた:アルバイトの経験から思いついたんですね。

おろすんジャー:そうです。それで掃除もヒーロースーツを着てやってみたら、結構いい感じにハマったんです。「ああ、これだ!」と思いました。子どもが寄って来てくれるし、大人も意外と「なにやってるの?」とか「(掃除をしてくれて)ありがとう」と声をかけてくれて。コミュニケーションが生まれるし、見るからに“なにかの活動をしているんだな”って伝わって興味を持ってもらえるんですよね。だから、ヒーロースーツを着て『ベビーカーおろすんジャー』を名乗ろうと思いたったのは、僕にとって自然な流れでした。

くりた:たしかに、普通にベビーカーをおろしてるよりも、ヒーロー姿でおろしていると目を引きますね。

おろすんジャー:そうですね、いい意味でも、悪い意味でも(笑)。

くりた:「この格好は注目を集めるぞ!」ってことも計算していたんですか?

おろすんジャー:してないですよ!さっきも言いましたけど、僕シャイなんで。

くりた:シャイだから……。経緯はわかりましたけど、でもやっぱりシャイな人があの格好をしているって不思議な感じがします。顔が隠れてるとはいえ。

おろすんジャー:それが、やってみたらよかった。私服だと、町で人と会ってハイタッチするなんてできない性格だったけど、あの格好をすることでなににもとらわれることなく、町の人と自分がやりたい交流ができたから。

くりた:普通に暮らしていて、町の人とハイタッチしないですもんね。

おろすんジャー:そうだよね。ピエロとかと同じで、ヒーロースーツを着ていれば、町の知らない人とでもハイタッチできる。だから僕、普通の格好だったらこの活動やってないですね、確実に。

くりた:なるほど。シャイだから、ベビーカーをおろしてほしいと他人に頼めない人の気持ちがわかるんでしょうか。

おろすんジャー:そういう部分もあるかもしれないです。別に僕なんかいなくても、自分から周りの人にベビーカーを運んでほしいって頼める人もいるんですよね。階段の下にいる駅員さんに手伝ってほしいと頼んでもいいわけですし。だからベビーカーを使ってる人が10人いたとして、困ってるのはその中でも3、4人かもしれない。でもその3、4人は誰にも言えずに困っていて、僕の活動に「たすけてもらった」って言ってくれたんだと思います。

この町のために、なにかしたかった。

くりた:そもそも、そこまでして町の人と交流したいと思うようになったのは、どうしてなのでしょうか。

おろすんジャー:アルバイト先として方南町に関わりはじめたころ、町の人がすごくいい人ばかりで驚いたんです。この人たちのためになにかしたいと思いました。方南町の人はフレンドリーで、町で会っても下の名前で呼んで声をかけてくれたんです。それが僕には新鮮だったんですよ。飲食店や八百屋さんなんかの人もみなさん仲良くしてくれて、当時ただの大学生だった僕を可愛がってくれました。「飯食えてんの?これ食べな」ってお惣菜くれることもあるくらい。

くりた:わたしも住んでいて実感してますけど、方南町ってそういう親しみやすさのある町ですよね。最初は、町の人がいい人だから活動をはじめたんですね。

おろすんジャー:はい。人と交流したいという気持ちと、この町の役に立ちたい気持ち……その両方が合わさって、活動をはじめました。
町の人の声をきっかけに活動をはじめてから勉強するようになって、長年エスカレーターやエレベーターがないことは、方南町が抱えてる問題の中でも意外と大きな課題だと知ったんです。
だから町のためになるならって気持ちで続けてきました。掃除も、駅での活動も、なにか町の人のためになればって思ってます。
こうして8年経っても続けられているのは、人とのふれあいがあるからですね。

くりた:今では社会人として本業の仕事も忙しいと思いますが、人とのふれあいがあるから、8年以上続けることができたと。

おろすんジャー:そうですね。ただ当初は週6〜7日でやっていたんですけど、忙しくなってきて少し活動時間は減ってはいます。今は方南町駅にエレベーターとエスカレーターができたのもありますし。それでも単純に楽しいので続けてます。

くりた:どんなことを楽しいと感じてるんでしょう?

おろすんジャー:やっぱり、人との交流、ふれあいですね。最近あるお母さんに聞いた話なんですけど、その女性の息子さんは僕が数年前にその子の弟のベビーカーをおろしてたのを見てたから、町でベビーカーを使っている人を見ると声かけているそうなんです。そんな風に影響を与えてたと教えてもらって、僕が趣味ではじめたことが広がっていてよかったなって、うれしかったです。

たすけてくれる人がいるから、続けられる

くりた:おろすんジャーさんは町のために活動する中で、逆にたすけられることってあるんでしょうか。

おろすんジャー:めちゃくちゃありますよ。活動を続けてこられたのは、人とのふれあいがあったから。町の人が「頑張って」って声をかけてくれるとうれしい。差し入れも毎日のようにいただいて、その気持ちもありがたいです。

くりた:町の人が差し入れをくれるんですか。

おろすんジャー:いっぱいもらいます、今でも。飲み物とかお菓子とか、焼き芋とか。そうやっていろんなかたちで応援してくれる人たちがいると、なんだろうな……やる意味があるんだろうなって。正直、この活動に意味があるのかなって思うときもあるんですよ。僕は趣味でやっていて楽しいからいいんだけど、逆に町の邪魔になってないかって不安になる。

くりた:町の人がいるから、活動が続けられているんですね。

おろすんジャー:そうです。よく「ベビーカーをおろしてるのが楽しいんですか?」って言われるけど、ベビーカーをおろすこと自体はそんなこともないんですよ。人とふれあうのが好きなんです。

駅の出入口を1000人通過したとして、ベビーカーを押してる人って多くて5人くらいじゃないかな。その中にときどき僕を必要としてくれる人がいて、さらに通り過ぎる人も声をかけてくれるって大きなことです。

だから相手はたすけてるつもりはないでしょうけど、「頑張れ」とか「行ってくるわ」とか「今日もいたんだ」とか声をかけてもらえる、僕が話しかけると返事がある、笑ってくれる。僕を見て、変なやつがいるなってリアクションをしてくれるだけでも、たすけられてる。うん、そうですね……僕は声をかけてもらえるだけで、たすかっているかなあ。全員に無視されてたら辞めてますよ。

くりた:ああ、「リアクションだけでも、たすけられてる」かあ。そういう風に考えてるんですね。

おろすんジャー:なにかをしてもらうっていうことがなくても、うれしいですよ。冷静に考えると、駅でこんな緑色のヒーロースーツ姿で立ってて「いってきます」とか優しく声かけてもらえるって、普通ないじゃないですか。そんなこの町の人たちのあたたかさがすごくありがたい。やっぱり、他の町でもう一回最初から活動してみてって言われても結構怖いですもん。それだけ僕も町の人にたすけられていると思います。

くりた:……すごい。

おろすんジャー:ちょっとかっこいいですか(笑)?

くりた:かっこいいです(笑)。おろすんジャーさんにとって、方南町と他の町って、どういうところが違うんですかね?

おろすんジャー:最初はなんて特別な町なんだろうって思ってたし、方南町のことはすごく好きなんですけど……でも今、大人になって考えると、どこでも一緒なんじゃないですかね。ただそこで自分がなにかやったかやってないかの違いで。多分他の町でこういう活動をやったりご飯を食べに行ったりしてたら、「〇〇町大好き最高だぜ!」って言ってるんだと思います。

ただ、僕はいかんせん方南町に来て長いし、方南町を好きになっちゃったんで、これからもこの町で『おろすんジャー』をやっていきます。

写真:くりたまき