保障は“転ばぬ先の杖”。
仕事と趣味を充実させながら、心を豊かに過ごしたい。
※ご年齢等掲載内容は取材当時のものです。(2018年3月取材)
樫村 誠(かしむら まこと)さん [80歳]
PROFILE
東日本大震災で妻が大やけど。
余震の恐怖も忘れて病院へ
私が紳士服の仕立て職人として独立したのは28歳のときです。中学校を卒業して、水戸市の百貨店の洋服部で修行を積んでから今の店を持ちました。
全労済の保障は、当時所属していた業界団体の労働組合の人に薦められて加入しました。独立によって会社のサポートがなくなり、すべてを自分で対応しなければならない立場になりましたから「災害や事故などの万一の備えはきちんとしておこう」という気持ちがありました。以降、80歳になる今日までお世話になっています。
東日本大震災があった3月11日は、店で仕事をしていました。
体験したことのない大きな揺れに恐怖を感じて、作業机の下にもぐりこみ、揺れがおさまるのを待っていると、突然隣の部屋から妻の悲鳴が聞こえてきました。
驚いて様子を見に行くと、苦しそうな声をあげている妻のそばで、ストーブの上に乗せてあったヤカンが倒れていました。ストーブの火を消そうと近づいたときにヤカンが倒れてきて、中に入っていた熱湯を足に浴びてしまったようなのです。
すぐに風呂場に連れて行き、洗面器に水を入れて足を冷やさせました。家は揺れていましたが、怖がっている場合ではありませんでした。それから私の車で近所の病院に連れて行きました。
大きな地震の後にもかかわらず病院は開いていて、すぐに治療してもらうことができました。その日のうちに帰宅できましたが、それでも全治2ヵ月の大やけどでした。
テレビのニュースなどを見て、東北地方を中心に各地で大きな被害が出ていることを知りました。さいわいにも私の家は入口のタイルがひび割れていたくらいでしたから、運が良かったのでしょうね。
それから2日間くらい水道水が使えない日が続きましたが、ここでも私の家は運が良くて、たまたま井戸の自家水道を併用していたので、飲料水は自家水道でまかなうことができたのです。
そのため、ごくごく近所の人たちにではありますが、水道が使えなくて困っている人たちに生活用水として利用してもらうなど、できる範囲の手助けをしました。
現在、わが家の井戸は、断水が起きたときに近所の方に使ってもらえるように、水戸市の「災害時生活用水協力井戸」に登録されています。
ありがたかった「見舞金」。
全労済のていねいな対応に感謝する
自宅の被害は大きなものではなかったので「この程度なら保障してもらうまでもないだろう」と全労済には連絡せずにいました。
しかし、震災から3ヵ月もせずに、全労済の担当者が訪問されて「震災で被害を受けたところはありませんか?」というので、タイルのひび割れた部分をお見せすると「ほかの場所にも被害があるかもしれませんね」と、家の周囲をていねいに調査してくれたのです。
このときに、共済金とは別に、「見舞金(地震等災害見舞金)」があることを知りました。書類の手続きも簡単で、すぐにお金を振り込んでいただきました。ありがたかったですね。
全労済は“転ばぬ先の杖”だとあらためて感じたできごとでした。