コンビニでの被災体験を乗り越えて。
まとまった休みが取れたら自慢のバイクで旅行したい
※ご年齢等掲載内容は取材当時のものです。(2016年8月取材)
矢口 勝雄(やぐち かつお)さん [52歳]
PROFILE
保障の点検・見直しが契機で全労済に加入。
その1ヵ月後にまさかの震災が……
全労済に出会ったのは今から5年前。当時自宅の1階でコンビニを経営していたのですが、知人の経営するコンビニが火事に遭ったと聞き、「災害時に自宅は大丈夫だろうか」と、保障を見直したのがきっかけです。新聞の折り込みチラシで全労済を知り、土浦市内にあった共済ショップでパンフレットをもらいました。内容を吟味してから、家財を保障してもらえる火災共済・自然災害共済に加入しました。
まさか、その1ヵ月後に震災が起こるなんて、思ってもみませんでした……。
2011年3月11日。その日、妻とふたりでコンビニの店番をしていると、突然グラっと大きな揺れが襲ってきました。棚にあった酒瓶がガチャガチャ音を立てて揺れだしたので、妻とふたりで落ちないように押さえつけましたが、手が足らずにワイン瓶などがどんどん落ちて、割れて、あっという間に店内がめちゃくちゃになってしまいました。
揺れが収まってから、散らばった商品を掃除して、1時間後くらいに店を開けると、お客さんが次から次へと入ってきました。食べ物、飲み物、ティッシュペーパー、アイスクリーム、そして普段は売れないようなレジの後ろに飾ってある詰め合わせのクッキーまで売れていきます。停電でレジが動かないので、バーコードの読み取りは緊急時に用意していたバッテリータイプのハンディターミナルを使いました。お客さんの行列がいつまでも続いて、妻と一緒に手一杯になりながら対応しました。
私には娘がふたりいるのですが、震災直後は学校と塾に行っていて不在でした。作業に追われながらも心配していたのですが、けがなく無事に帰ってきてくれて……。その時は本当にほっとしましたね。
夕方になり店内が暗くなってきたので、窓の外から自動車のライトを当てて、照明代わりに使いました。バックヤードに置いたラジオからは、震災被害の深刻さを伝えるニュースが流れていて、あらためて東北がとんでもない事態に直面していると感じたのを覚えています。
自宅の増築部分が「半壊」状態に。
共済の保障でなんとか難を逃れる
商品がほとんど売り切れてしまったのでお店を閉めて、自宅の状況を確認できたのが21時過ぎ。まず、居間の液晶テレビが倒れて画面が割れていたのが目につき、次に家の増築工事をした部分に亀裂が入っていたことに気付きました。どれくらい保障してもらえるんだろうと不安を感じながら、とりあえず全労済に電話したのが震災から2週間くらい経ったときでした。担当の方に調査してもらった結果「半壊」認定と聞き、被害の深刻さに驚きました。後日、思ったよりも早く共済金を振り込んでいただき、修繕に充てることができたのでとても助かりました。
震災に遭遇してあらためて感じたのは「備えること」の大切さです。私はコンビニを経営していたので、「もしなにか起こってもコンビニの商品を買うなどすれば大丈夫だろう」と考えていたのですが、実際に地震が起きてみると、商品はあっという間に売り切れてしまい、私たち家族は家にあったわずかな備蓄に頼ることしかできませんでした。幸いにも翌日には電気が復旧し、他の地域より早めに生活を立て直すことができたのですが、これが長期に及んでいたらと思うと、ぞっとします。
「お店を開けてくれてありがとう」。
お客さんの感謝の言葉に感激の涙
いろいろな人から「よく震災時にお店を開けられましたね」と感心されるんです。普通だったら、自分や家族のことが大事でそれどころではなかったんじゃないかと。でも、私は「誰かが困っているなら、自分ができることをやりたい」という感覚でした。私の家はコンビニとは別に、四代続いている酒問屋も経営していたので、そういう商売人気質があったのかもしれません。
それでも後日、震災時にお店で買い物をしたお客さんから「あの時、お店を開けていてくれてありがとう」とお礼を言われた時は思わず涙ぐんでしまいました。普段は私の方が「商品をお買い求めいただき、ありがとうございます」とお礼を言う立場なので、お客さんからお礼を言ってもらえたことに感激してしまったんですね。
あの時、店を開けた判断は今も間違いではなかったと思っています。