支えや助けがあるからこその人生!
10年前と変わらず、健康でいたい。
※ 掲載内容は2021年3月の取材時点ものです。※ 感染症対策のため、取材はリモートで実施しました。
武藤 宏子(むとう ひろこ)さん
PROFILE
1976年、中国に出張中だったご主人を唐山地震で亡くされた武藤宏子さん。それでも一生懸命、3人のお子さんを育てられ、「趣味に勉強に、やりたいことがたくさん」と、充実した毎日を過ごされています。以前にも取材させていただきましたが、震災から10年の節目に改めて、当時のエピソードや今後の生き方について伺いました。
2015年12月当時のストーリーはこちら
震災の約10年後にまた地震……
思い出す、恐ろしかったあの日のこと
2021年2月13日、我が家のある茨城県日立市に震度5弱の地震がありました。大きな衝撃でしたから、「もしかして、また?」と緊張が走りました。揺れを感じて最初にとった行動は、湯船を洗い、水をためたこと。これは東日本大震災のときに、1週間ほど断水を経験した苦労があったからでした。結局、今回は水道は止まることなく、事なきを得ましたが、地震が起きるたびに当時のことを思い出します……。
東日本大震災は、特別な揺れでした。あまりの大きさに地震がおさまってからも気が動転してしまい足がすくみ、しばらくは外へ避難できないほどでした。
また、当時一番辛かったのが、自宅の屋根が激しく損傷してしまったことでした。
屋根のてっぺんの部分にある、本来まっすぐな「棟」という部位が、折れてぐしゃぐしゃになっていました。「このままでは雨漏りしてしまう」と心配でしたが、近くに住んでいた次男が駆けつけてブルーシートをかけてくれました。自分ではどうしようもなかったので、息子の存在はありがたかったですね。
しかし、ブルーシートは強い風が吹くと飛んでしまうおそれがあります。そこで当時、近くの海岸で息子や孫と一緒に砂袋をつくり、屋根の上にのせました。しかし夏には暑さのために袋が劣化し破れ、砂があたりに飛んでしまいました。ご近所のみなさんに謝りましたが、「そんなの大丈夫。早く直してもらえるといいですね」と優しい言葉をかけていただきました。誰もが苦しく辛い時間を送る中、息子や孫、そして近所の方々の支えがあったことは私の大きな助けになったと思います。
こくみん共済 coop のスムーズな対応に信頼感がますます高まった
こくみん共済 coop の存在も、大きな助けとなりました。1980年頃、この家を建てた時から火災共済に加入しており、地震もカバーできる自然災害共済が登場したタイミングで、当時は風水害が心配だったこともあり、自然災害共済を付帯しました。今でこそ、地震の保障に加入することは当たり前ですが、当時はそれほど必要性を強く感じていませんでした。ですから、震災時に「地震の被害も対象になる」とわかり、胸をなでおろしました。
請求の手続きは分かり易く、必要書類を提出して、翌月には共済金が振り込まれていました。すでに市役所から半壊の認定が出ていたこともありますが、スムーズな対応をしていただけたことは、本当にうれしかったです。
共済金のおかげで、損壊した屋根やキッチンなども修繕できました。もともと、こくみん共済 coop の「たすけあい」の精神には共感するものがありましたし、このときの対応でますます信頼感も強くなりました。今は自動車の補償も、こくみん共済 coop にお願いしているんですよ。
その時々に的確な行動を取るためには
最新の情報を手に入れることが重要
近年、自然災害が多発しています。「また東日本大震災レベルの地震が来た時、我が家は耐えられるだろうか」という不安は強いです。でも食料の確保など、自分でできるかぎりの備えは欠かさないようにしています。
私の住む地域では、災害の備えに必要なものが記されているチェックリストが配布されています。
今はコロナ禍ということもあり、リストには「密にならないように避難する」など、コロナと地震、二重の対策が書かれています。コロナをはじめ、時代が変わればその時々に必要な備えの形も変わります。その時々の最新の情報をしっかりと集めて、必要な備えを欠かさないことが大切だと思います。
コロナといえば、なにかと不自由を感じる世の中になってしまいました。感染リスクを考え、友人たちとのゴルフもキャンセルせざるを得なくなりました。
必要な感染対策はしっかりと行うべきですが、あまりに意識しすぎて「自粛が萎縮」になってしまってはいけません。コロナでも地震でも、最新の正しい情報をしっかりと受け取り、慌てたり極端に恐れたりすることなく、的確な行動をとるようにしたいものですね。
短いようで長かった10年
これからもできるだけ「自分のことは自分で」
3.11からの10年間は、「短いようで長い10年」でした。地震発生時1歳だった孫はこの春、小学6年生になり、中学生だった孫たちは社会人に成長しましたし、母も他界しました。
私も現在79歳。地域全体で老齢化が進んでおり、身近な人同士のたすけあいがこれからますます大事になってきます。
そのような中でも、誰かに頼るのではなく私が頼られる存在であるために、まずは自分の生活をしっかりと保っていこうと思っています。適度に運動をする、バランスのとれた食事を心がける、ボランティアなどをとおして積極的に地域に関わるなど、「自分にできることを自分でやる」ということを意識しています。
さまざまなことが大きく変わった10年でしたが、変わらないことは私自身の心身と健康です。前向きな性格と健康な体に感謝しつつ、あのときの災害を耐え抜いてくれた我が家をいたわりながら、これからも、ともに歩み続けていきたいと思っています。