自助と共助を大切に。
孫の成長を見守りながら、好きなとこを楽しみたい。
※ご年齢等掲載内容は取材当時のものです。(2018年3月取材)
栗田悦久 (くりた よしひさ) さん [69歳]
けい子 (けいこ) さん [69歳]
PROFILE
逃げることしかできなかった……。
会社と自宅で、それぞれの被災体験
悦久さん
全労済は1980年にマイホームを建てたとき火災共済に加入したのが最初で、それ以来、保障のお世話になることもなく過ごしてきました。東日本大震災がなければ、今も使うことはなかったでしょうね……。
2011年3月11日は、会社で仕事をしていました。揺れがだんだん大きくなってきたので、30名近くいた社員全員で建物の外の駐車場に避難したのです。駐車場の車の中でニュースを見ながら、東北の各地でいろいろな被害が出ていることを知りました。
すぐ自宅に電話をかけたのですが、いるはずの妻が電話に出ないので、けがをしたのではないかとずっと心配していました。
けい子さん
そのときは、家の外に避難していました。ガタガタと大きな揺れがきたので、裏口から外の畑に逃げました。揺れている間は、家を呆然と眺めていることしかできませんでしたね。
地震がおさまって、表側の屋根の瓦が落ちているのに気付きました。そのときちょうど夫から電話がかかってきたので、家の状況を説明したのです。
悦久さん
電話口で妻から瓦が落ちていると聞かされたときは「たいしたことはないだろう」と思っていました。会社では外出していた社員たちの安否確認に追われ、あわただしい時間を過ごしていました。ひと通りの確認が済んで、帰った頃にはあたりはすっかり真っ暗でした。
倒壊した屋根瓦を見てすぐに連絡。
全労済の迅速な対応で事なきを得る
悦久さん
翌朝、妻に言われた瓦のことが気になり、屋根に登ってみてびっくりしました。地震の影響で棟全体が歪み、一部の棟瓦は倒壊していました。想像していなかった被害に愕然として、すぐに知り合いの大工さんに修理を依頼したのです。
同時に全労済にも電話をかけました。「すぐにうかがいます」という返事で、翌日には調査に来てくれました。調査のときは壁紙の剥がれた部分など、私の気付かなかった家の内部の被害まで見つけてくれました。「なるべく早く共済金をお支払いできるように手配させていただきます」と心強いひと言をもらいました。その言葉通り、4月の上旬には共済金を振り込んでもらい、その月の下旬には瓦の修繕を終えることができたのです。
けい子さん
周囲の家では、半年以上、屋根の修繕ができずにいたところもありました。それだけに、全労済の迅速な対応には本当に助けられました。保障に関しては、夫にまかせきりだったのですが、今回あらためて備えることの大切さを再確認できました。
悦久さん
これがきっかけとなり、夫婦で地域のつながりを大切にしたいと思うようにもなりました。震災後、自治会の会長を務めたのですが、地区で年1回の防災訓練を実施することに決めました。地域の防災意識を高め、お隣同士で支え合う関係をつくりたいと思ったのです。
けい子さん
私も民生委員として地域の活動に参加しています。最近は隣近所であっても交流しないところが多いと聞きます。私どもの隣組では毎年新年会を実施しています。ご近所同士のつながりを密にしておけば、いざというときに協力しやすいと思います。
悦久さん
防災は第一に自助、第二に共助と言われます。地域やご近所で支え合う共助とともに、自助の意識も欠かせません。全労済の保障は、このような防災意識にとって、自助の手段だとあらためて思います。