東日本大震災を自宅で体験。
「呆然として、声も出なかった」
※ご年齢等掲載内容は取材当時のものです。(2017年8月取材)
小栗 栄一(おぐり えいいち)さん [76歳]
PROFILE
東日本大震災を自宅で体験。
「呆然として、声も出なかった」
全労済の共済に加入したきっかけは、自宅の保障が満期を迎えたときに、偶然見かけた全労済のチラシです。加入の手続きは妻がやってくれました。私はどちらかというと保障に関して無頓着で(笑)、「自宅の保障に加入して意味があるのだろうか?」と懐疑的でした。しかし、東日本大震災を体験した今では、妻の判断に心から感謝しています。
震災の日は、自宅にいました。グラグラと揺れを感じたので「とりあえず、外に避難しておこう」と向かいの空き地に行きました。当時は小さな地震が多かったので、今回もすぐに収まるだろうと思っていました。ところが、しばらくして最初の揺れよりも予想外に強い横揺れが襲ってきました。ガガガーッという音がして、自宅の屋根瓦がどんどん落ちていくのが見えました。私と同じように外に避難していたお隣さんが「これはダメだーっ」と悲鳴を上げていたのを覚えています。私は目の前の惨状に呆然として声も出ませんでした。
地盤が傾き擁壁が崩壊。
余震におびえて過ごした一夜
揺れが収まり、落ちた屋根瓦を拾い集めていると、近所の人が「裏側が大変なことになっているよ!」と知らせに来ました。驚いて見に行くと、裏側の地盤を固定していた擁壁が崩壊していました。自宅が高台にあったので、崩れた土砂が他人の敷地になだれ込んでいる状態でした。とても申し訳なかったですね。しかも、たまたま様子を見に来てくれた土建業者の方からは「(自宅は)小手先の修理をしてもムダ。基礎から建て直さないとダメ」と言われて……。なにもかも、ショックでした。
家の中もめちゃくちゃでした。寝室のある2階は、部屋のドアが開かなくなっていました。外に出てハシゴでベランダに登って窓から中をのぞいてみると、タンスや引き出しが倒れてドアが塞がれていました。もし、あの地震が就寝中に起こっていたら、押しつぶされていたんじゃないかと思い、ぞっとしました。
ガスや水道が使えず、割れた窓や壁から風が吹き込んできて寒いので、灯油ストーブで暖をとろうと思いましたが、余震の影響で火が着けられませんでした。近所の方が「これで元気を出してね」とスープを持ってきてくれたときには、人のつながりの温かみを感じました。
自宅の再建と病気の治療。
保障のありがたみを実感する
全労済に連絡したのは、それから4、5日後です。妻が電話をかけると「罹災証明書のコピーがあれば、すぐに手続きします」という話でした。市役所に連絡をすると、担当者が調査にやってきて、後日「全壊」の罹災証明書をもらいました。妻は、その証明書のコピーをすぐに全労済に送付したそうです。すると、1ヵ月程で共済金を受け取ることができました。全労済の担当者から共済金が出ることを聞いた妻は、ホッとして思わず涙がこぼれたそうです。スムーズな対応には本当に助けられました。
その後、共済金を充てて自宅を建て直すことができ、1年7ヵ月ほどで元の暮らしに戻ることができました。妻は共済金を受け取ったときに「これで立ち直れる。立ち直らないといけない」と思ったそうです。
一方、私も震災が起きた年に運悪く、がんとヘルニアで立て続けに治療を受けました。このときは全労済の「こくみん共済」から受け取った共済金を治療費に充てることができました。
保障のありがたみは、実際に共済金を受け取って始めてわかるものだと痛感しています。今は“全労済に加入していてよかった”とお世辞ではなく思います。