3月11日のストーリー

震災で深まった夫婦の絆。
2人で「修学旅行のような思い出」をつくりたい

※ご年齢等掲載内容は取材当時のものです。
(2016年5月取材)
玉田爾(たまだちかし)さん
栃木県在住
玉田 爾(たまだ ちかし)さん [54歳]

PROFILE

物流会社勤務。営業所のグループリーダーとして業務管理や後進の指導・育成に励む。趣味は、夫婦水入らずの一泊旅行。ほかにもドライブ、DIY、カメラ、寺社仏閣めぐりなど。

「もしもの時の後ろ盾がほしい」。
労働組合に紹介されて全労済を選ぶ

全労済に出会ったのは28歳の頃。当時働いていた運送会社の労働組合から「マイカー共済」を紹介されたのがきっかけです。労働組合の役員から全労済の経営方針を聞き、「これなら安心だ」と思い加入しました。私は21歳で父親を亡くしており、親の助言や援助に頼ることができなかったので、自分に何かあった時のために、後ろ盾が欲しいと思っていました。

「自然災害共済」に加入したのは2008年です。「念のために加入しておこう」くらいの気持ちだったのですが、今思えば「虫の知らせ」だったのでしょうね……。

玉田爾(たまだちかし)さん

東日本大震災で自宅が損壊。
妻の涙で家族の大切さを実感する

忘れもしない2011年3月11日。あの日は仕事で外におり、歩いて事務所に戻る途中でした。突然、地面がガクンと落ちたような感覚がして、立っていられないほどの揺れが襲ってきました。足下が波打つように動き、逃げようと思っても振動のせいで身動きができない。1分以上続いた大揺れがやや静まったところで、事務所に駆け込むと、物が落ちたり倒れたりで、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなありさま。すぐさま社員の安否を確認し、全員の無事を確認したところで本社に報告を入れました。約1時間後、「本日は解散」との連絡があったので、車で家に帰りました。

渋滞の国道を走ってようやく家にたどり着き、自宅の損壊状態を見て愕然としました。外壁や屋根瓦が崩れ落ち、窓ガラスが割れてあちこちに飛び散っていました。幸い家族にけがはなく、私より先に帰宅していた妻が、私の顔を見るなり「よかった」と涙を流していたのが印象に残っています。家の惨状はともかく、家族が無事だったことに安心したのでしょうね。

その夜は電気が使えず、余震も続いていました。家族には、いつでも逃げられるようにと寝床の横に懐中電灯と靴を用意させました。私は寝ずの番です。割れた窓ガラスから寒風が吹き込むので、毛布をかぶって寒さをしのいだのを憶えています。

数日後に共済金の振り込み。
担当者のスピーディーな応対に感謝

震災の翌週から仕事に復帰し、配送品のバックオーダーの処理に追われながらも、インターネットで全労済に保障の問い合わせをしました。2人の担当者が調査にいらっしゃったのが、その半月後くらいです。

玉田爾(たまだちかし)さん

全労済の対応の速さに驚きました。さらに驚いたのは、調査からわずか数日後に共済金の振り込みがあったことです。たまたま銀行に用事があって、ATMで通帳に記帳された残高が増えていることに気付いて「あれっ?」と思ったら、全労済からの共済金でした。大至急で手配してくださったのだと思います。「これからどうしよう」と精神的にも参っていた時だったので、スピーディーな対応には本当に助けられました。

いつやってくるかわからない危険は、備えるにこしたことはありません。昔読んだ本に書いてあった「天涯比隣(てんがいひりん)」という言葉が気に入っています。「たとえ、遠く離れていても、すぐ近くにいるかのような親しさや頼もしさが常にある」という意味です。全労済は本当に困った時にこそ頼りになる、私にとっての「天涯比隣」ですね。

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