#今できるたすけあい
コラム
バインミーを食べて、小杉湯の愛を知る
※この記事は2020年6月5日に執筆したものです。
JR高円寺駅から徒歩7分ほどの住宅街にある、古めかしい銭湯。
昭和8年創業。御年87歳の老舗銭湯。ここが、私の職場である小杉湯だ。
私は番頭兼イラストレーターとして、浴室のPOPを描いたり、広報をしたり、イベント湯の企画をしたりと、小杉湯にまつわる色んな仕事をしている。
小杉湯は4つある浴槽の温度差が絶妙で、特にあつ湯と水風呂に交互に浸かる入浴法・交互浴が人気だ。銭湯ファンからは“交互浴の聖地”とも呼ばれている。
昔から長年愛されているので高齢の利用者も多いが、浴室を使ったライブイベントや、廃棄される予定だった果物をお風呂にいれる“もったいない風呂”などの企画をきっかけに、若い人の利用も年々増え続けている。下は赤ちゃんから、上はお年寄りまで。多世代が集う小杉湯は“愛”で育まれた銭湯だと思う。
とりわけ、小杉湯三代目の平松佑介は“愛”の話をよくする。
私を小杉湯に誘ったのも、愛あるPOPを作りたいという想いから。銭湯は「タオルを湯船につけないで」や「使った桶と椅子を元に戻して」など注意書きに溢れることが多いが、三代目はそんなふうに強く指摘するのではなく、対話するような“愛”あるPOPの方がいいと考えた。
「その方がお客さんも気持ちよく入れるし、想いが伝われば気をつけようって自然に思ってくれるよ」
待合室の漫画が一冊なくなったときも、犯人を探したり非難したりせず、「俺たちの愛が足りなかったんだ」と言い切って漫画棚の改善にあっさり舵を切った。
人を心の底から信じ、愛あるコミュニケーションこそが問題を解決する。様々な人が集う銭湯で育ったからこそ、三代目は恐ろしいほど性善説に基づくようになったのだろう。それは素晴らしく、称えられるべき考えだと思う。
でも。私は頭ではすごいと思っていても、心の底ではその考えに共感できはしなかった。
小杉湯にくる前、私は設計事務所で働いていた。建築は、自分に厳しく他人にも厳しい体育会系の風潮がある。今は違うかもしれないが、少なくとも私がいた環境はその考えが強く、私も他人に厳しく、洗練された美しい建築を作ることこそが何よりも大切だと信じていた。その考えが根っこにあるから、三代目の他者を信じ他者に委ねる考えは、正直よくわからない。
愛なんて目に見えないもの、本当に伝わってるの? 愛が足りないんじゃなくて、盗んだ人が悪いんじゃないの。どうして、そんなに他人を手放しで信じられるわけ?
小杉湯に入って3年たった今でも、頭でわかっていても理解できないままだった。
2020年4月、新型コロナウイルスの感染拡大により緊急事態宣言が発令され、大型施設や飲食店などに休業や営業時間の短縮が要請された。公衆浴場は社会生活を維持する上で必要な施設として休業要請されず、私たちもインフラである銭湯の営業を続けていく決意をした。
家にお風呂がない人、お風呂が家にあっても一人で入ると危ない人、家のお風呂が使えない人。小杉湯がなくなってしまったら、この人たちの生活はどうなるのだろう。私たちはお風呂が必要な人たちが安心してお風呂に入れるように、小杉湯をいつも通り開けると決めたのだ。
不安な状況だからこそ、小杉湯にいる間だけでも安心して過ごしてほしい。待合室や脱衣所など合計12本の除菌スプレーを置き、スタッフは定期的に消毒を実施、マスクができない浴室でのおしゃべりを禁止、徹底的な換気など、考えられる感染予防・防止策は全て行った。私はおしゃべり禁止やコロナ対策を周知するPOPを作り、営業中は問題がないか注意に努めた。
そのかいあって、玄関に設置したメッセージボードに「こんなときにも開けてくれてありがとう」「いつも通りの小杉湯で安心した」などと温かいコメントが寄せられるようになり、私たちの想いが伝わって本当によかった、と心からホッとした。
しかしその一方で、大声でおしゃべりをしたりマスクをせずに咳をしたりする人もいて、その度に注意しても改善されないこともあった。浴室でおしゃべりしていた仲の良い常連さんに注意をするも、私が脱衣所に行った途端におしゃべりを始めたのを見たときは心からガックリして肩を落としてしまった。
その話を三代目に相談すると、返ってくるのは愛の話。
こんなときにもぶれてないなんて、この人は本当にすごいな。でも、私はそこまで人間ができてない。再三注意をしているのにそれを守ってくれない人はもうお客さんじゃないでしょ。そんな人、出禁だ出禁! 二度と敷居を跨ぐな!!!なんて思ってしまう。
きっと、コロナに対する私自身の不安も重なったのだろう。日を追うごとに心はどんどんささくれだっていった。三代目の愛の話はわかる。でももう、他者を慈しむ余裕も元気もなかった。
そんなときに出会ったのが、sioの鳥羽さんだった。sioは代々木上原にあるレストラン。IKEUCHI ORGANICのオウンドメディア『イケウチな人たち。』の繋がりで仲良くなり「小杉湯と何かコラボをしましょう」という話になったのだ。
コロナ禍でもsioは席数を減らして営業を続け、それどころか昼にはお弁当とバインミー(ベトナムのサンドウィッチ)の販売を行っていた。さらには家でもsioの味を楽しめるように『#おうちでsio』と題してレシピの公開も。
普通なら1万円以上するsioの味を、お弁当や自炊で楽しめるだなんて、大盤振る舞いすぎる。こんな時期だからこその取り組みは本当にすごいけど、こんなにやっちゃって本当に大丈夫なの? とも純粋に思う。そんな私の不安をよそに、鳥羽さんの答えははっきりしていた。
「幸せの分母を増やすのに、目先の利益を追うんじゃなくて、今はどうギブするかが大事でしょ。こんなときに儲けることを考えるのはダサいよ!」
食で“幸せの分母を増やす”こと。鳥羽さんの目指しているものはすごくシンプルで、ブレがない。こんな状況だからこそ、少しでも多くの人が幸せになってほしい。ただその純粋な思いから、テイクアウトやレシピ公開を行っているのだ。
鳥羽さんの話を伺い、打ち合わせを終えたあと、帰りの車でテイクアウトしたバインミーを食べてみた。ジューシーで柔らかな豚肉、スパイシーなパクチー、控えめだけどずっと食べていたくなるパン、美味しさの間に垣間見える甘いリンゴの味。幸せ、と思える味だった。
その瞬間、鳥羽さんの“幸せの分母を増やす”という言葉が、ストンと胸に落ちた。そして同時にハッと気づいた。今食べているバインミーこそが、“愛”だ。少しでも幸せになってくれるように、素材と味を丹念に追求して作り上げたバインミー。これが愛でなければ何なのか。
三代目が貫いてきた“愛”の形、そしてそれを伝えることがどんな意味を持つのか。バインミーを食べ、文字通り“腹の底”からはっきりと理解した。
とてつもなく絵が描きたくなった。鳥羽さんの愛の形が“食”なら、私が愛を表現するのは“絵”だ。鳥羽さんが伝えてくれた愛を、それを理解した感動を、感謝の想いを、私は絵で返さなきゃならない。
その想いに駆られ、翌日からsioのイラスト制作を始めた。朝から晩まで机にかじりつき、テクノを爆音でかけて頭を真っ白にさせ、声をかけられても言葉に詰まるほど作業に没頭した。集中力はいつにも増し、体が燃えるように熱く、絵を描くためだけに自分が存在しているのだと感じる瞬間が何度もあった。普段なら気にしないようなスケール感の違いに身を引きちぎられるような苛立ちと焦りを感じ、sioに2回も再計測に向かってしまった。
そうして、1週間かかって『sio図解』が完成した。鳥羽さんの反応を生で感じたかったので、予定していたオンライン配信のトークイベントでお披露目した。
「鳥羽さんに見せたいものがあって……」
そう言って、zoomので画面共有ボタンを押して、“sio図解”のjpegファイルをクリック。画面いっぱいにsioのイラストがあらわれる。
「すげぇ!!!!!!!!!!!」
鳥羽さんは画面に顔を寄せ、シンプルに、そう叫んだ。あまりにもストレートなその反応に思わず爆笑しつつ、胸がすっとするような、爽快感のような、そんな感情で「やったーーーーーー!!」とガッツポーズをとってしまった。嬉しさと、安堵感と、達成感で、ほんの少し、目の端が潤んだ。
銭湯図解を描き始めてから、100枚以上のイラストを描いてきたと思う。でも、ここまで誰かの顔を思い浮かべて、それが確実に届いたと感じられたのはこれが初めてだった。そして、絵を描くことの純粋な喜びと、自分が絵を描く意味をはっきりと感じられたのもこれが初めてだった。
“幸せの分母を増やす”話を聞き、バインミーを食べ、小杉湯を形作っていたものを理解し、そして、絵を描いて届けることで、三代目が語り続けていたことがやっと自分ごととしてわかったのだ。
緊急自体宣言を終えても、小杉湯はこれまでとは変わりなくいつも通りの営業を続ける。きっと徐々に人が増えるから、どうしていくかを考えないとならない。どれだけ気を配ったPOPを作っても、注意に気をつけても、うまくいかないこともあるだろう。しかし、私はもう、他者を思いやり愛を伝えることが何なのかを知っている。見返りがなくとも、私はもう大丈夫だ。
これから、コロナと共存するウィズコロナの時代が始まる。私は、顔が見える誰かのために、クリエイターとして何ができるのか、を考えていきたいと思っている。見返りを求めず誰かのために、何かをする。その積み重ねが、この時代のたすけあいに繋がっていくと信じて。
(写真提供:小杉湯 イラスト:塩谷歩波 編集:はつこ)
塩谷歩波
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