#今できるたすけあい
コラム
「変わらねば」と焦る僕と「毎日楽しいね」と踊る妻。
※この記事は2020年4月15日に執筆したものです。
僕はとても流されやすい。
時代にも、流行りにも、とにかくすぐに流されてしまう。
思い返せば、僕は小さい頃からずっとそうだった。
たまごっちの発売日には駅前のおもちゃ屋さんに5時間も並んだし、特別好きでもないのに浜崎あゆみさんのファンクラブに入っていたし、大学入試ではもっとも人気のあった大学を理由もなく選んで、あっけなく落ちた。
「時代に置いていかれるのが怖い」
僕にはどこか、ずっとそんな焦りがある。「何者かになりたいと願うあまり空回ってる人が増えていますね〜」という声を見るたびに「あ、僕です」といつも思う。
変わらなきゃと焦って、うまくいかずに落ち込んで、なんとか這いつくばって立ち上がる。これが僕の人生の縮図だ。
誰にもたすけてもらいようがない、自分自身の努力と成果でしか幸せになれない、窮屈な世界。僕はこうして、どうにか30年間を生きてきた。
しかし、一つだけラッキーなことがある。それは、時代や変化に無頓着で、毎日をめいっぱい楽しんでいる妻や子どもたちと家族になれたことだ。
以前、僕が仕事を終えて(リモートワークのため在宅)、ドアを開けるとコンサートが開催されていたので、その様子をツイートしてみた。
自宅自粛のおかげで妻のダンスがどんどん上達してて見てて楽しい。娘は毎日アナのドレスを着てる。 pic.twitter.com/ZqAbATJWqp
— 松田 佳大 (@yosshi007) April 9, 2020
ただ妻と娘が踊っているだけなのだが、想像以上の大反響。妻は一緒にスマホを眺めながら「どうしてこんなに反響が?!」と不思議がっていたけれど、僕には理由がわかっていた。
「こんなに毎日が楽しそうな人って、なかなかいないよ」
そんな生き方を、意識せずとも天然でやってのけてしまうのだから、もう白旗だ。自分の窮屈な世界があまりにも馬鹿らしくて、いつもつい吹き出して笑ってしまう。
RADWIMPSの有心論という歌に「君は人間洗浄機 この機会にどのご家庭にも一つは用意していただきたい」と綴られた歌詞があるのだが、まさにそれだ。変わらなきゃと焦る僕を、見事に洗浄してくれている。
そういえば、妻と結婚式の準備をしていたある日、泣きながらこう言われたことがある。
「私は生き急ぐあなたに、ちょっとでも日常に転がっている幸せに気づいてほしいから、ここまで付き合ってきたんだよ」と。
幸せの絶頂のタイミングで、大切な何かがガラガラと崩れた。
僕はそれまで「俺がいろんな世界を見せてやるよ任せとけベイベ」と言わんばかりの付き合い方をしていた。誕生日に憧れのディズニーランドホテルに連れていってあげてドヤ顔してたり、なんでもない日に箱根の高級宿旅行をプレゼントして得意顔だったり。
でも、それは嬉しいことであっても、本質的な幸せではなかった。そう気づいた瞬間だった。
思い返せば、妻はしきりに「私はいっしょにいれるだけで幸せだよ」と言ってくれていた。なるほど、そういうことだったのか。この言葉の意味がズドンと胸に突き刺さった。
あのときは驚きすぎて、呆然として、リアクションができなかった。だから、この場を借りてお礼を言いたい。
「変わらずにいてくれるあなたから、日常に転がるキラリと光る幸せをもらってます、ちゃんと今は気づけてるよ、ありがとう」と。
僕は、変わらないことは悪だと思ってた。そんな奴はダサいとすら思ってた。
でも、変わらないに救われることがあるのだと、妻から教えてもらった。
こんなご時世だから、世の中のいく先が見えなくて「何かしなきゃ、変わらなきゃ」とついつい焦ってしまうこともあると思う。
でも、もしそういう人に出会ったときには「変わらなくてもいいんじゃない?その存在にたすけられる人も絶対にいるよ!」と、僕はきっと言う。
まさに、ステイホーム。そのままの姿で居てくれるだけで人だすけができるのだ。そんな穏やかなたすけあいがあってもいいだろう。
これまでも、これからも、「変わらない」という方法で僕をたすけてくれる妻。そんな存在に深く感謝をしながら、きょうも家族のダンスコンサートをみて笑っている。
(写真提供:松田佳大 編集:はつこ)
そのほかのコラム
Copyright2024 こくみん共済 coop <全労済>