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コラム

縮⼩された卒業式「⼀⽣忘れられない」心を救ってくれた先⽣のサプライズ

※この記事は2020年3月29日に執筆したものです。

「こんな終わり方って……」
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、全国の小中高が一斉休校措置となったのは記憶に新しいかと思います。

特に卒園式、卒業式を迎えるお子さんがいるご家庭では「こんな終わり方ってあるの?」と、やるせない気持ちを感じたのではないでしょうか。

話が少し逸れてしまいますが、『やるせない』って便利な表現ですね。

辛いとか悲しい気持ちはあるけれど、その気持ちをどう言葉や行動に表していいのか分からない状態を表す『やるせない』という言葉。そこに詰まっている、感情の情報量って凄まじいと思う。

我が家は今年、末っ子が幼稚園を卒園、長女が小学校を卒業しました。

突然の休校措置から最後の登校日、卒業式を迎えるまでの約2週間のできごとを、言葉でどう表せばいいか分かりません。
でも「やるせない」で終わらせてはいけない。今、そんな思いで書いています。

突然の休校措置、最後のランドセル登校

「明日は小学校生活最後の参観日だね」
休校措置がとられる前日、長女とそんな話をしていました。ニュースでは、休校措置を検討中という話題で持ちきりでした。休校になるかどうか分からない状況の中、私は「ニュースを見ない」という選択をしました。つまるところ、現実逃避ってやつです。

参観当日、バタバタと忙しなく子どもたちを送り出すと、学校から連絡網が届いていることに気づきました。でも、「ちょっと待っててね、今は見ないから」と心の中のもう一人の自分に言い訳しつつ、再び現実逃避しました。
だって、もう、絶対、休校の、連絡網に決まってる。

一呼吸置いて、いやでも、どちらにしても学校からの連絡は見ないとね。と思い直し、確認したら案の定、
「コロナウイルスの影響により、本日の参観は中止とします。明日から休校となります」という文面でした。

何も知らずバタバタと学校へ送り出した朝、この日が、ランドセルを背負って登校する長女を見送る最後の日となったのです。まさか最後だなんて思っていないから、片手にワイパー持って廊下を掃除しながら「はいはーい!行ってらっしゃい!」と、軽く見送ってしまいました……。

最後の給食も
最後の席替えも
最後の参観も
最後の登校も

こんな形で終わるなんて、誰が想像できたでしょうか。

誰に文句を言えるわけではありません。仕方のないことです。しかし、いくつもの「最後」に対して「こんな終わり方ってあるの……?」と悔しい思いをした人、涙を流した人は、数え切れないと思います。

仕方のないことだから悔しいのです。
自分だけじゃない、同じような思いを抱えている人が数え切れない程いるから切ないのです。

卒業式は縮小してでもいいからあればいいな……そんな一縷の望みを抱えながら休校期間に突入しました。

違和感だらけの卒業式

卒業式は縮小して行われることになりました。

安堵の気持ちを感じつつも、

来賓、在校⽣は不参加
全員マスク着用
卒業⽣の席や保護者の席も⼀定の間隔を確保
卒業生の歌一部カット
卒業式の練習はほぼできていない

そんな状況の中、みんな「卒業式があるだけでも感謝しないと」という気持ちを抱えていたと思います。

ガランとした体育館
マスクをした卒業生たちが次々と入場してくる姿
「卒業生の贈る言葉」は練習不十分のため、ポケットに忍ばせた紙をチラチラと確認する我が子

全てにおける違和感や心のモヤモヤは、「卒業式があるだけで感謝だよね…」と諦めることで誤魔化せました。
一方で、誤魔化しながらも「こんな終わり方って…」という違和感やモヤモヤを解消しきれずに卒業生たちを見つめていたのは、私だけではなかったはずです。

しかしそんな違和感やモヤモヤは、先生たちの思いやりある対応によって、一生忘れることのできない卒業式となったのです。

突然のサプライズ「思いやる」気持ち

縮小された卒業式は早く早くと急き立てるように進行し、式開始から30分後には、あっという間に終盤に差し掛かっていました。

「もうすぐ終わりだな」と思っていたそのとき。

式次第にはないはずのプログラムへと進んでいきました。

「教職員一同起立」

という掛け声とともに、壇上へ向かう先生たち。
保護者はもちろん、卒業生たちも皆、キョトンとしていました。

「今年は5年生に代わって、先生たちからお祝いの言葉を贈ります」から始まった先生たちの贈る言葉。涙を何度も拭っていたのは、卒業生が1年生のときに受け持ってくださった、当時新任の先生でした。

その先生につられて泣く保護者の数の多かったこと……。

卒業式で涙が出るのは、大きくなった姿に、幼い頃の影が重なるからなのでしょう。

今回の卒業式は我が子の成長に涙するのと同じくらい、先生方の、子どもたちへの思いに感動し泣けてきました。個人的には、(あの新米だった先生も立派になられて…)と少しお節介な涙も出てきました。

先生たちが贈ってくれた「しあわせがあつまるように」という詩と、「変わらないもの」という歌の中には共通して『ありがとう』という言葉が含まれています。

“ありがとうに幸せが集まるように
笑顔に幸せが集まるように”

“君がいたから 頑張れた
支え合うこと 分かち合うこと
あふれるほどの愛をくれた
あなたにありがとう”

先生たちが卒業生へ贈ってくださった言葉と歌のプレゼントは、『ありがとう』の気持ちで溢れていました。その気持ちは伝播するように会場全体を包みました。

突然の休校措置に大変な思いをしていたのは先生たちも同じです。
言葉にできないような「やるせない」思いを先生たちも感じていたと思います。

そんな中、卒業生や保護者の気持ちが少しでも晴れるように、出席できなくなった在校生や来賓の方に代わり、急遽、式次第に組み込まれたプログラム。その思いやりの心に私は救われました。

卒業生、保護者は当初

「こんな終わり方ってあるの?」
「卒業式ができただけでも感謝すべきだよね…」

と、やるせない思いを抱えながら卒業式の日を迎えたことでしょう。
しかし、式が終わる頃には晴れやかな気持ちになっていました。

令和元年度の卒業生は、皆が当たり前に訪れるであろう「卒業式」が当たり前ではなくなりました。

しかし、その経験をマイナスに感じることはないと私は思っています。

卒業式がなくなっても、縮小になっても、仲間と過ごした時間や絆、6年間学んだこと、頑張った時間がなくなるわけではありません。

困難なことに出くわしたとき、「どうして…」と悲観的な気持ちになってしまいますが、心を救ってくれる存在や言葉、歌にたすけられることがあります。
今回、やり場のない悲しみから救ってくれたのは先生たちの思いやりある行動や気持ちを伝える姿勢でした。

卒業式という人生の節目に、人の優しさに触れ心を救われた子どもたちの未来が「たすけあい」にあふれる温かい世の中であることを願っています。

そして、次は「誰かの心を救う」そんな人になってほしい。「たすけられた」という経験は、次は誰かを「たすける」ことにつながるはずだから。

おしまい

(写真:藤里一郎 X(旧Twitter)→@shameraman 編集:はつこ)

高桑のりこ

大阪に住む主婦。子供は3人いますが、子育てについて相談されると白目をむく。ライター歴は8年。趣味は読書、特技は山口百恵のモノマネ。X(旧Twitter)→@noriyuayuzuyui1

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