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第12回 南相馬緊急防犯パトロール隊(ボランティア) この大切な町は、地域住民にしか守れない

地図
PROFILE
南相馬市は、「相馬野馬追」などで知られる由緒ある町だ。震災時は、震度6弱の揺れに加え、巨大な津波により海岸線から約2km付近までの地域が壊滅。高さ数十mの防潮林も歯が立たなかった。さらに、福島第一原子力発電所の放射能漏れによって、屋内退避区域に指定される事態に。地震、津波、放射能と3つの被害を同時に被った。震災後、桜井勝延市長がYouTubeで世界に窮状を訴えるなど、ほかとは違う動きを展開してきた南相馬市。緊急防犯パトロール隊も「国や自治体にはできないことを」と、2011年3月末に独自に結成された、南相馬市最初の防犯組織だ。隊長の嵐さんに、市の現状とこれからについてうかがった。

避難後の家屋で盗難が。2011年3月末から自主的に見回りを始めた

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倒壊した家屋がそのまま放置された町を見回って走る

震災後、ここは、原発の30km圏内なので、一時、自衛隊も警察も撤収してしまいました。電気も届かない真っ暗な町で、自分たちの身は自分たちで守るしかなかった。だから、防犯パトロール隊を結成したんです。住民が避難した家から不審火が出たり、盗難が起こったりしていました。ガラスが割られて、パソコンや薄型テレビが盗まれている現場にも遭遇しました。

市民は家族、生命は平等。市民の誇りを持って助け合おう

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不安を乗り越え、南相馬で暮らす決意を固めた

人命救助や遺体の捜索などもしました。津波に飲まれたご遺体は、洗濯機の中で振り回されたような状態の方もおられました。とても痛ましく、放っておけません。20km圏内は傾いた家がそのままになっています。牧場には牛が放置されたまま。犬や猫も同様です。医療も介護も人材不足で、国の定める規制に従うと受け入れられず、特別に対応しました。この状態は、10年以上続くでしょう。東日本大震災と原発事故でわかったのは、国には頼れないということ。南相馬市民として自信と誇りを持ち、「本気・やる気・元気」を合言葉に皆で助け合っていきます。

パトロール隊の存在を知って涙が出た。地域住民だからできること

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当時のことは、今思い出しても涙が出るほど

(志賀公子さん談)私は震災直後、県外へ避難していました。テレビの報道で、パトロール隊のことを知ったのです。涙が止まりませんでした。食料も燃料も満足にない町に残り、頑張ってくれている人がいたなんて……。これは、帰って協力しないわけにいかないと思いました。今はパトロール隊を手伝いながら、飼い主が避難し、置いていかれたペットたちの餌やりなどのボランティアもしています。これは、どこに誰が住んでいたかわかるからできる活動です。地元の住民が、声をかけ合って地域を守る。それができるのが田舎の強みなんです。

Q 震災後、一番必要を感じたものはなんですか。
A ガソリンです。徐行運転でパトロールをしていると、とにかくガソリンを消費するんです。震災直後は、備蓄していたドラム缶からポンプで汲み上げていました。ガソリン代は自己負担しているので大変です。でもやるしかないですからね。
Q 東日本大震災と原発事故を経験した南相馬市には、これから何が必要なのでしょうか。
A 南相馬で長く暮らし、働いている人には何かしらの「癒し」が欲しいですね。息抜きの場があるといい。将来的に、放射能や経済面でいつも不安を抱えているような状態が続くと思います。心がくつろげる場所があると、また頑張れると思うんです。

取材を終えて

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復興が地域の助け合い精神で支えられていることが印象的でした

被災地では、国や市町村が主体となり、復興に向けた取り組みを進めていると思っていました。ところが、今回の取材で、復興の主体は地域の住民であることがわかりました。「家も家族もなくした被災者を本当の意味で救えるのは、毎日顔を合わせている地域住民同士」という嵐隊長の言葉が非常に印象に残りました。

こくみん共済 coop  福島県本部 事業推進部 事業推進課 主任
橋本敏満

取材協力:南相馬緊急防犯パトロール隊 代表 嵐孝治さん 隊員 志賀公子さん

取材日:2012年10月31日

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