今月の「生きるヒント」

シリーズ 女性の生き方 ターニングポイント~わたしの転機~ vol.16 木下真理子さん 究めるほど深く広がる 書の世界に魅せられて

プロフィール
きのした・まりこ/茨城県出身。雅号は木下秀翠(しゅうすい)。6歳から書道を始め、より専門的な知識を学び、高度な技術を習得するために、書道の研究では第一線として知られている大東文化大学に進学。髙木聖雨に師事。大学卒業後、日本を代表する書展で作品を発表し、読売書法展 特選、謙慎書道会 推薦顧問賞、槇社文会展 槇社文会賞など、数々の賞を受賞。『誕生!中国文明展』、『第64回正倉院展』、映画『利休にたずねよ』、NHKドラマ『激流~私を憶えていますか?~』等の題字を手掛けている。また、国際交流基金の日本語講座等、世界各地で 「日本の書」を普及させるワークショップ『日本の美しい文字プロジェクト』も展開中。伝統芸術としての書道を継承し、現代における書の在り方も探求している。

家探しも書道が優先。休まず毎日書き続ける

書道を始めたきっかけは、家の近所にある書道教室に通い始めたことでした。小学1年生から高校3年生まで、休まず12年間通っていたんです。もともとコツコツと地味にやるのが性に合っていたんだと思います。

ただ、高校3年のときに、青山杉雨という昭和の書壇を代表する書家の作品を観る機会があったんです。それは見たこともない書体や表現スタイルで書かれていて、当時の私にはまったく読めませんでした。私は12年も書道をやってきたのに、書道について実はまったく知らないということに気づいたんです。カルチャーショックでした。お習字と書道は違う。書道の世界をもっと知りたい。そう考えて、書道を専門的に学べる大学に進みました。

大学を卒業するとき、国語の教員免許がとれていたので教員になろうかとも考えました。でも、授業を行う以外にも生徒のことを考えることが必要とされる教職と書道の両立は無理があると思いました。それは、私の専門とする書体で作品を書くと、1枚書き上げるのに大体30分~40分はかかるということ、加えて作品を書く上で、その時代の記録や言説を調査、研究したりする時間も必要で。それで、とりあえず効率良くアルバイトをしながら、作品を書くことを生活の中心にして生きていこうと決めました。

一人暮らしの部屋探しでは、作品を書くための、長い辺が2m50cmほどの紙が広げられるかを基準に、次の行に変わっても書き続けられるくらいのスペースが必要なので、部屋の対角線を常に測っていました。不動産屋さんに変な人だと思われていたと思います(笑)。また、都会のワンルームタイプの部屋は、収納スペースも少ないので、書道に関する研究資料が増えて置き場所がなくなると、浴室を書庫替わりにしていて、一度、室内点検の際に不動産屋さんに注意されたこともありました(笑)。

さすがに今は、昔ほど窮屈な思いはせずにすんでいますが、一事が万事、書道を優先する生活は変わっていません。


筆文字アートでも美文字でもなく、書道の本質と向き合う

書道というと最近はパフォーマンスや、文字をことさらデフォルメした書などがメディアに取り上げられることも多いので、特に若い人の間では、簡単にできて派手な自己表現の手段というイメージが持たれているかもしれません。でも、そこには書道の本質はありません。<当たり前のことを当たり前として乱さず>に、それでも存在感を放っている書、それが本当の意味で優れた書ではないかと思います。

お習字のようにお手本を見習って書くことを「臨書(りんしょ)」と言い、書道の基礎として大切なことなのですが、地道な作業の繰り返しです。そして、本格的な書作品を手掛けていく上でも、良い作品に仕上げるには、結局コツコツ書くしかありません。それは高名な先生方でも同じで、作品を完成させるために、300枚、500枚と書いて、ようやく納得のいく1枚が書けるかどうかという世界です。フィーリングやセンスだけの書は、伝統的な書道の範疇には入りません。

また、古くからの書に接していると、題材や文字の意味を確認するだけにとどまらず、様々な伝統的な技法の探求や、そもそもこの文字がなぜこの形になったのかという、そのルーツを辿っていくようになります。

古代、神と交信するために文字は生み出され、漢字は自然や物の形をかたどって描かれた象形文字から始まっています。それが数千年という長い歳月をかけて、その形は変化していくのですが、この時代にこの文字を書いていたのはどういう人たちなんだろうと、想像も広がります。日本で言えば、平安時代に仮名をつかっていた貴族たちは、宮廷で優雅に花鳥風月を愛でながら、文字に対してもとても敏感でした。当時は今のファッションのように、「筆跡」というものに美意識を求め、鑑賞することも日常的に流行していて、文字と書とは一体のものだったんです。

今は電子機器の普及により、文字が情報伝達のツールとして、記号のように認識されています。また、美文字ブームということで言えば、文字を丁寧に書くことは良いことですが、そこには読み易さや書き易さといった、やはり「機能性」ばかりが求められている、そんな現象なのではないでしょうか。


文字は一つ一つが芸術品。内にひそむ美しさを探求したい

日本の美しい文字プロジェクト
in 韓国

調べれば調べるほど、新しい世界が開けていくというのが書道の世界です。その奥深さに気づいてしまうと、それを多くの人たちと共有したいと思うようになりました。

幸いにも、日本書籍出版協会の理事を務められ、書道の出版社でもっとも知られている二玄社の黒須雪子社長からお声を掛けていただき、海外で「日本の書」を紹介するという機会を得ることができました。文字という観点から、日本の文化を知ってもらえるようなプレゼンテーションがしてみたい、そんな思いから、『日本の美しい文字プロジェクト』は始まりました。伝統を継承している書家の立場で、「日本の文字の美しさ」に表れている日本人の古来の美意識や思想といったものまでを伝えることができると思ったんです。

スタートは韓国からだったんですが、韓国はもともと漢字文化圏です。日本は仮名文字をつくり、韓国はハングル文字をつくりました。同じ漢字をルーツとしていながら、独自のDNAやアイデンティティーが文字に組み込まれています。おもしろいですよね。このプロジェクトは現在までに、ドイツ、タイ、ロシア、イタリア等、日本も含めて8カ国でワークショップを開催しています。2013年は11月にモンゴル国でも行う予定です。

漢字にしても、平仮名にしても、文字には、一文字・一文字に内在している美しさがあります。不自然に手心を加える必要がない、言ってみればそれ自体が既に「芸術品」のようなものなんです。私は慎ましくも優雅な「日本の文字の美しさと魅力」を、世界に伝えていく宣伝担当でありたいと思っています。


筆一本でゆるぎなく生きていく力を身につけるために

すぐに悩み、くよくよしてしまうのが私の性格です。それを自覚しているので、悩む前に動こうと心がけています。これは、書道にも通じることですが、書いている途中では悩めないですし、一度書き始めたら、例え上手く書けていなくても、途中で止めるようなことはしません。また、自分の心が揺れていると線は歪みますし、逆に気持ちが乗っているときは、線は伸びやかになります。ちょっとカッコよく言うと、自分の人生がそこに凝縮されているような感じがします。

今の時代では、いつでもどこにいても携帯電話に連絡が入り、インターネットの情報の多さにも、ともすればおぼれそうになってしまいます。そんな日常から解放されて、自分がどういう状態にあるのかを真摯に見つめることができる、純粋で濃密な時間を味わえる、それが書道の魅力だと思います。

ところで、個人として仕事をしていると、体制的なことから生じる理不尽な出来事に直面することがあります。そんなとき、私はオノ・ヨーコさんの『ただの私(あたし)』という本を思い出します。ヨーコさんは、ジョン・レノンと結婚したことで、世界中から誹謗中傷を受けてしまうのですが、愛息のことを思って、万事低姿勢を貫いてきたそうです。でも、ただ自分でありたいということさえ許されない、本当は世界に向かって「バカヤロー」と叫びたいと、そう語られています。「ただ」というのは、ごく普通のという意味もあると思いますが、唯一無二の、英語の「ONLY」という意味がそこには込められているのではないかと思っています。ヨーコさんですら、一人の人間として生きていくことの難しさを感じている、社会というのはそういうものだと、クールに認識しなければならないのかもしれません。それならば、私は筆一本で、どんな状況になっても揺るぎなく生きていける力を身につけたいと思っています。

木下真理子さんの生きるヒント

「曲不蔵直」。この言葉は『碧巌録』という中国の仏教書に出てくる「真不掩偽 曲不蔵直(しんはぎをおおわず、きょくはちょくをかくさず)」という一節です。「真実は虚偽を明らかにし、曲がったものは真っ直ぐなものを隠せない」という意味があります。いろいろなものに惑わされて、初心を見失わないようにと、この言葉を座右の銘にしています。
私は、人との関わり合いの上に成立している普段の仕事は、本名である「木下真理子」で行っています。ただ一方で、プライオリティの差こそ、そこにはありませんが、自分と向き合い、素の自分で作品を書くときには、「木下秀翠」という雅号を使っています。それは、自分の中で守ろうとしているものがあるからなのかもしれません。


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