今月の「生きるヒント」

シリーズ 女性の生き方 ターニングポイント~わたしの転機~ vol.12 枝元なほみさん いろんな道があっていい おいしい料理は失敗から

プロフィール
えだもと・なほみ/1955年、神奈川県生まれ。大学3年の時に、明治大学文学部演劇学専攻の実習団体「実験劇場」に入団。1981年、劇作家の太田省吾が率いる「転形劇場」の研究生となる。同年、無国籍レストラン「カルマ」のオープニングスタッフとして、厨房を任される。1988年、転形劇場が解散。その前年に女性週刊誌の料理の仕事の依頼があり、料理家としてデビュー。自由な発想で生み出された、おいしくてつくりやすい料理が人気となり、その後は、「きょうの料理」(NHK)「ひとりでできるもん!どこでもクッキング」(NHK Eテレ)などテレビ番組、雑誌などで活躍。食に携わる立場から農業の問題にも関心が高く、社団法人チームむかごを設立して生産者をサポートする活動も行う。東日本大震災の後は、同法人として被災者を対象にしたプロジェクトも実施している。近著に『今日もフツーにごはんを食べる』がある。
チームむかご

仕事も男もなんにもない! 32歳ですべてを失ったあの時

私のターニングポイントは、所属してた劇団が解散して、10年以上一緒に暮らしていた人と別れ、仕事も家も一気に失った時。もう冗談みたいに何にもなくなって、カランカランと空き缶みたいな音がしそうだった。ターニングポイントっていうか、バーニングポイント?(笑)全部燃えて、焼け野原になっちゃった。そんな感じ。

当時、32歳。32歳っていったら、もう定職について、実績も多少あるころでしょう。結婚して子どもがいてもおかしくないですよ。よく「君は、人生の計算がなさすぎ」と言われるけど、ここまでくるとちょっとやばいかなと思った。つらかった。そりゃつらいよね、こんな状況。

私は、劇団に入ったのも遅かったんです。最後に所属していたのは転形劇場というところだったんですが、研究生で入ったのが26歳の時。まわりはハタチ前後の若い子ばっかりで、ランニングする時も私だけママさんバレーみたいにドタドタしてた。でも、劇団に体操を教えに来てくれていた先生が「人それぞれ体が違うのに、同じことで競わせるから、オリンピックは嫌い」っておっしゃってたんです。「そんなに早くゴールしたいんだったら、早く出発すりゃいいじゃないか」って。それ聞いて、笑っちゃいました。そして、ああ、私は遅く出発したんだから、人より遅くまでやればいいと思えたんです。何歳で始めたかなんて、関係ないやって。物事に対する、頭の柔らかさだけ持っていればだいじょうぶだって、そう思いました。


劇団と料理のアルバイトで、人生の下積みを終えていた

転形劇場に入団したのと同じ頃、中野にある無国籍料理のレストランでアルバイトも始めました。知り合いが始めた変な店で、メニューもほとんど決まってないんです。そこで、素材に合わせて料理をつくり、お客さんに一定のクオリティのおいしいものを提供しなければ、と考えているうちに、少しずつ料理というものがわかってきました。1985年頃からは、劇団のスタジオに併設したロビーで提供する、大量の料理を任されることになったんです。スタジオのオープニングパーティーに始まって、他劇団の招待公演の初日のパーティー、最終日の打ち上げ……。300人分のカレーをひとりでつくりながら、大量の料理をつくる選手権があったら今、私は世界トップだわ、と思っていました(笑)。この経験で、ものすごく鍛えられましたね。

そんなふうに料理をしていたら、劇団が解散した頃、知り合いの編集ライターさんが週刊誌の料理ページの仕事をくれました。4ページに30品くらいが掲載され、1日でそれら全部の料理をつくって撮影する超ハードな仕事。でも、私、なんかやれたんですよね。それは、芝居と同じで、撮影現場も「有機体」だっていうことがすぐわかったから。みんなでひとつのページをつくるために、それぞれが一個の細胞として役割を果たす。そんなイメージがわいて、全体を把握することができたんです。それまでずっと、劇団にしても料理にしても、お金にならないけど、やたらに大変という仕事を続けてきたおかげで、「人生全般の下積み」が終わっていたんでしょう。それがあれば、なんでもできる気がします。


雑草料理にダメ出しを食らう。自由な「料理の人」デビュー

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とはいえ、それまで料理記事の仕事なんてまったくやったことがなかったので、まわりは大変だったと思います(笑)。料理をつくって、盛り付けることはできます。でも、レシピなんて書いたこともない。自由すぎて手に負えない、放し飼いで育った野生の料理人でした。焼き魚というテーマでは、「家族がそれぞれ違う魚を食べたら、いろんな味が楽しめていいんじゃない?」と思い、緑のきれいな枝の上に数種類の魚を並べ、レシピには「魚と仲良しになりましょう」と書く。案の定「意味不明だ」「こんなのレシピじゃない」とダメ出しが入りました(笑)。節約料理では、「道で摘めばタダだ!」と思い、自信満々でタンポポやハコベを添える料理を提案したら、「摘んできた?! 問題外!」って怒られた。レシピは、編集ライターの友だちに、「全部“適量”じゃレシピにならないんだよ!」と、赤鉛筆でガシガシ修正してもらっていました。

でも、料理の先生に習わなかったからこその、強みもあるんです。私は、においをかいで、食べてみて、まずかったら吐き出して、と全部自分で体験しながら料理をつくってきました。大学生の時に切り干し大根の煮物を作ろうとして、お湯を沸かしてバコーンと乾物のまま切り干し大根を鍋に入れたことがあるんです。そうしたら、1時間半たっても煮えないんですよ。まず柔らかくならない。そして、どんどん量は増えていくのに、味がつかない(笑)。こういう体験から入っているので、料理をやったことがない人のことを笑えないと思っているし、失敗を踏まえて、考えたり調べたりできるんです。


「もっともっと」という考え方、もうやめませんか

料理学校にいくと、こうすれば失敗しないっていう道を習うでしょう。でも、私は失敗から「なぜ」を考えるから、今までになかった発想ができるんだと思います。「切り干し大根は、水で戻さなきゃいけないのか」とか、「戻してからじゃないと味が染み込まないんだ」とか、そういうことも一つひとつ学んでいける。そこから、常識とはちょっと違う、新しいレシピを考えることができる。日本人って、一つの道を極めるのが好きですよね。でも私は、いろんな道があっていいと思うんです。

最近よく思うのは、「もっとできる」「自分はもっとやれる」っていう発想、もう捨てていいんじゃない?ってこと。「もっともっと」という発想を、一回みんな捨てないと、社会も成り立たないし、自分も苦しい。それに気づくべきだと思うんです。地球というパイが決まっているのに、どんどん経済成長しようとするということは、誰かの分を自分がかすめとることにつながります。オーガニックの農業を営んでいる農場にいくと、「ブラボー!」と思いますよ。いろいろな植物や生物がいて、それぞれが働きかけあって循環して生態系が成り立っている。社会も、こうあるべきなんじゃないかな。

成長してなくても、大金を稼いでなくても、「今日もちゃんとまじめに働いた」「よく笑った」「ごはんがおいしいね」、そういうのでよしとしませんか。そのなかで人生に、自分なりの社会的な意義が見つかれば、十分ハッピーなんです。

枝元なほみさんの、生きるヒント

昔からの座右の銘は「Whole Lotta Love胸いっぱいの愛を」ですね。これは、レッド・ツェッペリンの2枚目のアルバムの最初の曲です。15、6歳の頃から聴いていて、その頃サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』とかにもはまっていました。最近、朝のラッシュの駅で肩がぶつかっただけで「チッ」と舌打ちする、渋滞でクラクションを鳴らすなど、街なかにイライラしている人がいっぱいいるなと思います。そういう時は「胸いっぱいの愛を」、ですよ。胸にいっぱい愛があったらさ、知らない人にも、自分から笑いかけられそうでしょ。

【色紙プレゼント!】応募受付は終了しました。ご応募ありがとうございました。当選者には、2013年6月上旬以降にご連絡いたします。


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