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2010年12月号 「人間力」を高めよう! 第3回 人間は孤独に身を置いてはじめて思索することができる―「孤独力」を高める 映画監督 井筒和幸さん

現代の社会を、より良くそして健やかに生き抜いていくために、私たちは、人間の持つさまざまな「力」を体得し高めていく必要があります。「生きる意味を見つけること」「コミュニティーの一員として自分に何ができるかを考えること」「現実をクールに分析・理解すること」「自分に尊厳を持つこと」等々──。そうした一つひとつの「人間力」こそが、私たちの人生を豊かで実りの多いものに導いてくれるはずです。

今月のテーマは、「孤独力を高める」。

若者のやるせなさや孤独を描き続けてきた映画監督の井筒和幸さんに、孤独を抱えながら生きていくことのおもしろみ、をうかがいました。

井筒さん、ツイッターはしますか?

井筒 しないですよ、そんなもん(笑)。するわけない。だれにつぶやくのよ、そんなん。隣に住んでいる人の声が全部聞こえてきたら、うざいし、聞きたくもないでしょ。あれはもてあそばれているんですよ、機械に。だって、ツイッターに書いても、明確に意見を表明しているわけでもないし、誰に向かって言っているのかもわからない。ほんとにコミュニケーションを求めていたら、会いに行きます。あるいは、ケンカしに行きますよ。

  そもそも、「しゃべる」いう行為は、それ自体が欺瞞を含むんです。自分の所在なさを埋め合わすための、作られたつぶやき。ほんまにそう思っているんじゃなく、どこかで偽っているんです。言葉は嘘をつくために生まれた、という説があるくらいだから。

  年がら年中ツイッターしているのは、それだけ自分自身を偽っているということにもなるし、自分自身が発した意図しない「嘘」にがんじがらめになっていくことでもある。政治家の中にもツイッターしているのがいますけど、あんなの、なんの訳にもたたんよ。政治家だったら、ブツブツつぶやいてないで行動しろ、言いたいわ。

人はなぜ、ツイッターにはまるんでしょうか?

井筒 そら、さみしいからでしょ。それと、熟考してないからでしょうね。人に読まれてもいいようにつぶやいてみせているというのは、味わいもへったくれもない。孤独をかみしめていない証拠です。

  別の言い方をすると、それだけ社会がすさんでいる。やりきれない。じつは、そういうやりきれなさを表現できるものが映画だったり、音楽だったり、文学だったりするわけなんだけれども……。

  芸術との対話は、すべてが自分自身に返ってくるもんなんです。他者に対してどうこうではなく、自分の内面に対する問いかけ。言い換えれば、それを誘発させてくれるものが芸術であって、そうでないものはただの商品。だから、作家がツイッター化したら終わり、ですよ。

携帯電話を取り上げられたら、パニックになる人も多いでしょうね。

井筒 なるでしょうね。だって、いつも誰かにメール打って、電話して、存在意義を確かめているからね。あれ、裏を返せばすごくさみしいよね。

  僕は仕事の連絡で必要だから携帯電話を持っていますけど、なくても十分に生きていけるからね。することなかったら、一週間でも10日間でも部屋にじっとしています。でも、今の若い子らは、そういう時間、きっと退屈で耐えられない。「今月はすることもないし、バイトもないし、一月、家でゆっくりしてみようか」って、そんなん思うやつ、いないでしょ? 

  僕らの若い頃は、待ち合わせに遅れそうになったらまず公衆電話を探して、10円玉あればかけるけど、なかったら「ま、いいか」って、そんなもんでしたよ。待っているやつは待っているし、待っていないのは、自分がほんとうに求められてはいない証拠や、くらいに思っていました。

  2時間遅れても相手が待っていてくれたりしたら、「ああ、こいつはほんとにええ友達や」と感激したりしてね(笑)。待たした以上は、この借りはいつか返さないかん、とも思うしね。

ところで、井筒さんが孤独を感じるのはどんな時ですか?

井筒 孤独はしょっちゅう、感じていますよ。むしろ、そういう時間や場所はおざなりにしたらあかん、思っています。だって、孤独ほど楽しいものはないよ。いろいろ思索できるし。その揚げ句に、自分は孤独でありながら孤独でないというのも、改めて感じたりするからね。

  今はパソコンやら携帯電話やらおもちゃがいっぱいあるから、孤独になる暇もないね。一度、そういうおもちゃから解放されて、自分はこんだけ暇なんだ、というのを実感した方がいいんですよ。そうしたら、もっと心の余裕ができるんちゃう?

  退屈しのぎって言ったらね、知り合いの詩人がこう言うんです。「映画っていうのは退屈しのぎの暇つぶしだって言うけど、そうじゃない。自分じゃなくて世の中の方があまりにも退屈だから、人は映画館に逃げ込むんだ」と。

  孤独になって退屈を味わうのは本来、おもしろいことなんですよ。夢想もできるしね。人生が退屈だからこそ、それをなんとかしておもしろくしてやろうという知恵も生まれるんであってね。退屈がなくなったら、芸術も生まれなくなりますよ。

芸術のように「一見すると無駄なもの」が、
社会の中にどんどん存在しにくくなっている
気がします。

井筒 それは、あるね。無駄なものがどんどん吐き捨てられていっている。今の言葉でいうと、削除されている。無駄って言ってもね、それがほんとうに無駄かどうかは人によって違うし、一生かかってもわからない場合があるんだけど。

  映画の場合、作品でなくて商品になってから久しいんです。20年くらい前からかな。簡単にいうと、ビデオ化が進行したのと同じなんですよ。ビデオって商品でしょ。その証拠に、どんな作品でも価格は均一。作品の価値は質で決まるけど、商品の評価っていうのは、質で決まる訳じゃないんだよね。

  それでも、最初はまだビデオそのものが価値を持っていたんですよ。一本16,500円もしていたから。「そんな高いもん、誰が買うの?」と最初は思ったけど、好きな人はそれでも買ったのよ。それがどんどん安くなって、レンタルになって、ダウンロードできて、「買う」という行為をしなくてもいいようになってきた。今はありとあらゆるクリエイションが、ほぼタダでしょ。僕に言わせると、これは「流通の地獄化」だね。

  だって、ピカソが「ごめん、オレ、今月100枚書かないといかんから忙しい」って言うてたら、おかしいでしょ?「オレのブランド、売れちゃってさ。ノルマ、一万枚なんだ」ってピカソが言ってごらん、価値もへったくれもないじゃないですか。言ってみれば、今の金融経済はそんなこと、平気で押しつけているわけですよ。

  ハリウッド映画は、誰が見てもわかる娯楽です。だけど、映画っていうのは、わからない部分があるからおもしろいんであって、全員がわかってしまったら、おもしろくないのよ。最初はわからなかった部分が、年数が経って、人生の経験を積んだりすると見えてくる。あるいは、若い頃とは違った味わいや楽しみ方が生まれる。文学でも何でもそうだけど、芸術って本来、もっとわかりにくくて息の長いものですよ。

若い人が情熱を傾けられる対象も、減っているような気がします。

井筒 そういう世の中だと、向上心が生まれないんですよ。「よし、オレは来年こそメルセデスベンツ乗ってやろう」とか、そんなん思う若者、いないでしょ? なんとかのブランドのスーツを絶対買ってやるからな、とマネキンを見てつぶやいている青年なんて、見たことないでしょ? 今日は駄目でも明日、もらったお給金をはたいてでもあれを着るんだ、あれを着て似合う人間になるんだという野心が、ない。

  極端な話、人からアイディアパクってでもオレは映画作るぞ、とか。本当にやる気があれば、親の家を売ってでもオレはやったるぞ、と思うはずなんですよ。それだけ人生賭けるいう対象も、見つかってないんやろね。

何かを始めようとする前に、「どうせうまくいかない」と諦めてしまう。その背景には、人口減少や景気の影響もあると思うのですが……。

井筒 景気の影響は、大きいでしょうね。だけど、うまくいかないよ、というのは周りが言うことであって、実際はやってみなわからんのですよ。周りの意見なんか聞いているようじゃ、それで終わり。情熱もへったくれもない。人にやめろ言われたからやめたって言うんだったら、初めから熱なんかなかったってことです。熱出たと思って医者に行ったら、「あんた平熱ですよ」って言われて帰ってくるみたいなもんで。

  コネクションもなければ、環境も整備されていない。それでモノ作れ言われたら、若い子はしんどいですよ。だけど、そういう真の荒野にたたずんだ時に、力が発揮される。どこそこでモノを書いたら本の一冊や二冊書けるんだというのは、荒野じゃないんです。そう簡単には人が飛びついてくれないのが、ほんとうの荒野なんであってね。

  僕らのように映画を作ることと一般の産業社会で生きることを一緒には言えないんだけど、おそらくどこであってもね、自分なりの価値観を貫いて生きるいうことは、そう簡単なことやないんです。

井筒さんの目に、今の時代はどう映っていますか?

井筒 なんか、こそこそしているよね。大らかじゃないというか……。たとえば、海上保安庁の保安官が勝手にマンガ喫茶から映像流出させたりするでしょ。あれ、良くないですよ。そんなこそこそするなよ、と思う。だからと言って、堂々と流せ、というのも違う。公務員がそんなことはじめからすんな、って言いたい。

  匿名をいいことにネットでいろいろ書き込みばかりしてるのもそうだけど、正義漢ぶったり、こそこそして。人間が精神的に自立しないどころか病んでる証拠やね。

  会社の中でも、横の人間に追いつくだけで精一杯で、人と違うことしてやろうと思う人間が減っているでしょ? 競争社会だと言うけれど、そもそも、人間を競争させようという考えが、間違いだと思う。それって、個人を信じる力がないのよね、組織に。言い換えると、「個」がどんどん弱くなっている。

  全共闘世代は「連帯を求めて孤立を恐れず」がスローガンだったけど、その下の世代に位置する僕は、「何も連帯を求めなくてもいいんちゃうの?」と思います。言うなれば、「孤立を恐れず、自由に憧れる」。それしかない。

  自由というのは、英語で言うと「フリーダム」。もともと持っている、絶対的な自由いうのかな。もとは不自由だったけど、法の下で自由になりましたという「リバティー」とは、意味がちょっと違うんです。まあ、そんな絶対的な自由を手にできると思うのも一種の幻想かも知れないけど、だからこそ憧れるよね。

  自由でいれば、必ず孤立します。自由は向こうからやってこないから、勝ち取るしかない。こそこそネットで書き込みしたりするのは、僕が思う自由じゃないのよ。

最近、自由を感じた瞬間はありますか?

井筒 このあいだ10日間ほど、仕事でアイスランドに行ったのね。こんなこと言ったらアイスランドの人に怒られるかわからんけど、火星ってたぶん、あんな感じじゃないかと思ったね。夜になると空にオーロラがぼゎーんと。

  首都からものの2、3時間、車を走らせただけなんだけど、見渡す限りの荒野。溶岩台地があるだけで、人っ子一人いない。ときどき、遠くに牛が一頭いたりして。冬になれば、一面の雪原ですよ。

  その荒野に、何十キロおきかにポツンと、鍵のない小屋が建っているのね。「遭難しかけた人はさぞお困りでしょう、ここを使ってください」という。なかに何があるかいうと、絆創膏とか、コンロとか、乾パンとか。それと、簡単な無線の装置。それ以外は、何にもない。荒野ってなんとすがすがしいことか、と思ったね。

  しばらくは、一緒に行った3、4人のスタッフと旅館から持ち出したコーヒーを飲んで話をしていました。話すこともなくなったら、周辺をぶらぶらと散歩したり、景色眺めたり……。ああいう場所に立つと、自分の鼓動さえも聞こえる。「あ、オレ、温かい」って、体温も感じるよ。ようするに、一切の情報をシャットダウンしたら、肝心なものだけを感じられるんやね。

  だれかにメールしたり電話したり、そんなこと、もったいなくてできないですよ。「だれが教えてやるか!」という気になるよ。「このすがすがしさを味わいたかったら、自分で来い!」って。

  短い期間だったけど、東京のわずらわしさから解放されて、救われた気がした。豊かになった、ほんと。

井筒和幸(いづつ・かずゆき)


 

1952年、奈良県生まれ。
1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』(83年)、 『晴れ、ときどき殺人』(84年)、『二代目はクリスチャン』(85年)、『犬死にせしもの』(86年)、『突然炎のごとく』(94年)、『岸和田少年愚連隊』(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞)、『ゲロッパ!』(03年)、『パッチギ!』(04年)、『ヒーローショー』(10年)など、様々な社会派エンタテインメント作品を作り続けている。
DVD『ヒーローショー』好評発売中。


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