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2010年11月号 「人間力」を高めよう! 第2回 みんなで感動を分かち合いながら「最低で最高の道」を歩いていきたい―「仕事力」を高める 『暮しの手帖』編集長 松浦弥太郎さん

現代の社会を、より良くそして健やかに生き抜いていくために、私たちは、人間の持つさまざまな「力」を体得し高めていく必要があります。「生きる意味を見つけること」「コミュニティーの一員として自分に何ができるかを考えること」「現実をクールに分析・理解すること」「自分に尊厳を持つこと」等々──。そうした一つひとつの「人間力」こそが、私たちの人生を豊かで実りの多いものに導いてくれるはずです。

今回のテーマは、「仕事力を高める」。

忙しいばかりで報われないような気分になった時、ほんの少しだけ立ち止まって、基本となる暮らしから仕事を見つめ直してみてはいかがでしょうか。『暮しの手帖』編集長の松浦弥太郎さんに、暮らしと仕事を結ぶヒントをうかがいました。

「なんか変だけれど、まじめで信用できる」が雑誌作りの基本

『暮しの手帖』は1946年(昭和21年)、故・花森安治さんと大橋鎭子さんが創刊した老舗の生活実用雑誌です。広告を一切載せず、一人ひとりの読者と向き合うことで、雑誌が売れないと言われる現在も、16万5000部を発行し続けています。トラックで旅をしながら本を売ったり、文筆家として文章を書いたりしていた松浦弥太郎さんがその編集長に就任したのは、2006年のことでした。

編集長になるというのは、どのように決断されたのでしょうか?

松浦 2006年2月に世田谷文学館で「花森安治と『暮しの手帖』展」があり、それをお手伝いさせていただいたことがきっかけでした。

  期間中のトークショーで、「今の暮しの手帖は楽しくないし、おもしろくない。誰が作っているかもわからない」とエールを送るつもりで言ったら、創業者の大橋鎭子さんらがそれを聞いていた。その数ヵ月後に当時の社長、横山泰子から電話がありまして、「編集長をやってもらえませんか?」と依頼されました。

  僕はそれまで、出版社に勤めたこともなければ、編集長の仕事がどういうものか、も知りませんでした。「編集長をやってください」と言われても、経験がないから怖かったですし、失敗するかも知れないという不安やリスクもありました。ですから、正直なところ、すぐに返事はできませんでした。

  それでも、横山は「あなたにやって欲しい。これは直感だ」と言う。最終的に僕がその依頼を受けようと決断したのは、少なくとも1人の人間が僕を本気で必要としてくれている、と感じたことにあります。

  多くの人が愛着を持っている『暮しの手帖』の編集長を任されるということは、僕がそれまで経験してきたことや培ってきたモノを世間に対して活かす、そういうタイミングが来たのだろう、とも思いました。

編集長に就任されて、まず、したことは?

松浦 会社としては、それまでの『暮しの手帖』を変えて欲しいという期待も十分にあったと思います。しかし、僕自身は、根本から変えてやろう、という気持ちはまったくありませんでした。

  『暮しの手帖』は一軒の古い家のようなもの。その家を一度解体して、柱や部品を一つひとつ点検する。その上で、使えるものはぴかぴかに磨いて使いましょう、と思っていました。実際、ほとんどの部品は磨けば光るものでしたし、ちょっとだけ修理すれば、使えるものばかりだったのです。

  ご存じかどうかわかりませんが、『暮しの手帖』は、最盛期には100万部以上も売れていた雑誌です。なぜ、そんなに人気だったかというと、そこには、創業者で初代編集長の花森安治という人の確固たる「人格」があったからです。

  個性的だった花森が1978年に亡くなってから、次第に、そこにあったはずの「人格」が見えなくなっていきました。ですから、僕が編集長になってやるべきことは、その風化しつつある「人格」を取り戻すことだろう、と思いました。

  古い『暮しの手帖』を読み返すと、おかしくて笑ってしまいます。トースターの性能をテストするためだと言って、2万枚もの食パンを焼き、それを積み上げた証拠写真を載せていたり、テストしてもいいストーブがなかったからと怒って、ストーブを蹴飛ばす写真を載せていたり。乳母車のテストをするために、炎天下、編集部のスタッフが延々と河原を歩いていたりもしているんです。

  ある意味で過激なのですが、決してウケを狙ってやっている訳ではなく、がむしゃらに、まじめに、自分たちが正しいと思うことをやっている。言ってみれば、雑誌全体が怒ったり、泣いたり、笑ったりしていたわけです。

  傍から見れば、そういうまじめさは「なにか変」にうつります。ぶざまだし、かっこう悪い部分もあります。けれど、僕はそんな人間らしさが読者をひきつけていたのだ、と感じました。「この人たちはなんか変だけど、まじめで正直だから、信用できる」。読者はおそらく、そう思ってくれていたのだと思います。

  ひとりの人間とつきあっているような感覚で読める雑誌。僕が今目指しているのも、そういう雑誌のあり方です。

向かい風があるのは、前に進んでいる証拠

当初は、苦情の手紙もたくさん来たそうですね。

松浦 最初の一年間は、毎回、雑誌を出すたびにおしかりの手紙が何十通も来ました。「長い間『暮しの手帖』を読んできたけれども、あなたが今変えようとしていることは非常に不愉快で、もう読むのをやめます」というような内容です。けれど、それは僕にとっては、そうした批判はとてもありがたいものでした。

  向かい風があるのは、それだけ前に進んでいる証拠です。批判されるのは、それだけ愛情を持って読んでいただけている、ということでもあります。だから、批判には真摯に応えようと思い、届いた手紙にはすべて返事を書きました。

  直筆で書かれたものに対しては、僕は今でも直筆で返事を書いています。午前中はほとんど手紙を書くことに費やしていますし、それは、編集長である僕の、大事な仕事のひとつだと思っています。

  新しく入ってきた編集部員にも、まずは、手紙を書くことから仕事をおぼえてもらいます。手紙に慣れていない人がほとんどですから、最初はなかなかうまく書けません。「下手だな」と言うと、手紙の書き方の本を読んでそっくり真似しようとする。そうすると、よけい、つまらなくなります。それでも、半年くらいすると慣れてきて、自分の言葉で書けるようになってきますし、なんでも手紙で事を進められるようになってきます。

  編集部では今、依頼はすべて手紙。急ぎの連絡でも、たいていは電話やファックスを使うようにしています。メールだけで用件を済ませてしまうようなことは、ありません。

雑誌を作る上で、松浦さんが最も大切にされていることは何ですか?

松浦 ひとつは実用的であること。もうひとつは、人を悲しませないこと、です。この二つだけは、絶対に妥協したくないですね。

  文章を書くことはとても難しくて、ともすると慇懃無礼になったり、心がこもっていない表現を使ってしまったりすることがあります。心のこもっていない言葉というのは、必ず人を傷つけます。僕は、そういう文章は絶対に載せたくない。「これ、どこかで読んだことがあるな」「常套句だな」「あいまいにごまかしているな」と思う表現は、絶対に削っていきます。そういう言葉は読めばわかりますから、絶対に見逃さないですね、僕は。

  文章でも表現でも、上手にやろうと思ったらおおむね失敗します。上手にやろうとすると、たいていは邪心が入る。下手でもいいから、心を開いて、「これしかない」という言葉や表現を使って欲しい。「悩んだら、自分の一番大切な人をイメージして、その人に語りかけるように書いてください」とアドバイスしています。

  じつは僕ら、決まり切った企画会議はやりません。意味がない、と思うからです。それよりも、みなでよくお茶を飲みます。雑誌に載せるための料理もたくさん試作しますから、編集部で食卓を囲む機会もたくさんあります。そういう時に、「この前の連休、どうだった?」「どこに行ってきた?」「何を食べたの?」というような雑談をして、そこで出てきた話を、僕がメモをとりながら企画にまとめていくのです。

  有意義なプライベートを過ごしていない人は、企画につながるアイディアがなかなか出てきません。その代わり、情報はたくさん持っています。しかし、その情報はたいてい表面的で、ちっとも魅力がないし、一次情報でもない。心から生活を楽しんでいる人は、常に何かに感動していますから、その感動を誰かと分かち合いたい、という気持ちがある。情報は少なくても、アイディアの完成度は低くても、そういう人の方が企画のタネは豊富に持っている、と感じます。

情報が豊富であれば仕事ができる訳ではないということですか?

松浦 そう思います。今の時代、インターネットで調べて簡単に手に入るような知識は、ほとんど価値がありません。自分が何ひとつ体験していないからです。それよりも、日々の暮らしのなかでどれだけ感動できているか、の方が大事だと思います。

  仕事を通して誰かを感動させたい、人を幸せにしたい、と思えば、まずは自分自身が日々何かに感動しないといけない。自分がしてもらってうれしいこと、自分が「しあわせ」と感じることが何か、がわからないといい仕事はできないだろう、と思います。

  そうそう、編集長になって変えたことがひとつありました。暮しの手帖社は午前9時15分から午後5時30分が規定の勤務時間ですが、僕は「編集部全員が午後5時30分になったら、みんなで帰ろう」と決めたのです。と言うのも、作り手が充実した暮らしをしていなければ、読者にほんとうの豊かさを伝えることはできないだろう、と思ったからです。

  少し前までは、「良い暮らしって何?」と問われたら、多くの人が「豊かな消費」をイメージしたと思います。モノを買って消費することが豊かさの証であり、幸福の証のように捉えられていたと思います。僕自身も、そういう生活をしていた一人でした。しかし、溢れるモノに囲まれて、「これがほんとうの幸せなの?」と感じた人も、たくさんいると思います。バブル崩壊後は特に、そうした実感を持つ人が多くなったように感じます。

  もっと精神的な豊かさを感じられる、創造的で個性的な暮らしはないのだろうかと探した時に、そう言えば『暮しの手帖』があったね、と気づいていただけた。多くの雑誌が廃刊・休刊していくなかで、『暮しの手帖』が今もこうして生き延びていられるのは、そうした時代の変化が背景にあると思います。

  「良い仕事をする」前に「より良く暮らす」ことがある。だから、編集部員には、仕事のために生活を犠牲にするようなことはしないで下さい、とお願いしています。

基本的なことほど、続けるのは難しい

良い暮らしを良い仕事に結びつけるためには、何を心がければいいのでしょうか?

松浦 まずは、健康管理。そのためにお給料を払ってもいいと思うくらい、大切なことだと思います。

  次に心がけて欲しいのは、身なり。贅沢じゃなくてもいいから、清潔なものを身につける。あとは、どこへ行っても、誰に会っても、元気よく、笑顔であいさつができること。これでだいたい、仕事の半分くらいは終わっています。そして、素直な心持ち。

  「それだけ?」と感じるかも知れませんが、単純なことほど、毎日続けるのは難しいものです。毎日ベストコンディションでいようと思ったら、夜更かしや暴飲暴食はできないですし、ていねいにおいしいものを作って食べないと、身体を壊しますから。

  日々の暮らしを大切にするということは、身の回りにあるモノや人を大切にすることだとも思います。目の前にいる人といい関係が結べたら、おのずとその向こう側にある読者、あるいは、お客さんの存在も感じられるようになってきます。

  よく、運が良かったから、ラッキーだったから成功したって言いますよね。しかし、僕の人生を振り返って、天から降ってきたものなんて、まずない。必ず、誰かがチャンスをもたらしてくれている。周りにいる人が僕を助けてくれて、何かを乗り越えさせてくれている。ひとりで成し遂げられたことなんて、ひとつもありません。

  けれど、それは僕だけじゃなくて、みながそうだと思います。だからこそ、目の前にある暮らしを大切にして、目の前にいる人に感謝と愛情を注いで生きていくことが大切なのではないのでしょうか。

松浦さんの人生を辿っていくと、傍らにいつも本があったような気がします。
「本を売る」「文章を書く「編集をする」という三つの行為は、どのようにつながって
今に至っているのでしょうか?

松浦 本に対して特別な思いがある、というわけではないと思います。若い頃、一度たりとも「本を作りたい」とか「本を書きたい」「本を売りたい」と夢見たことはありませんし、それを、自分の目標にしてきたつもりもありません。

  もちろん、本は僕にとっていろいろな考え方のきっかけをもたらしてくれたり、刺激を与えてくれたりする友だちのような存在だとは思っていますが、それは本だけではなく、コップでも鉛筆でも、身の回りにあるモノはすべて同じだ、と考えているのです。

  仕事というのは、おおむねうまくいかなかったり、大変だったり、の連続です。だからこそ、いろいろ工夫して、アイディアを出して、どうあれば自分自身が楽しめるか、を考えてきました。

  トラック一台で移動書店を始めた時も、「自分が感動した本を持って旅をしながら、様々な人と出会い、交流し、感動を分かち合えたらいいな」と、思ったことがきっかけです。お客さんを待つだけではなく、自分から会いに行ってもいいのではないか、そんな夢みたいなことが実現したら、楽しいのではないか。僕なりに、「富山の薬売り」をやってみよう、と思ったのです。

  トラック一台ならば、お店を一軒持つ三分の一くらいの資金で済みます。当時、僕はトラックを買ってほぼ一文無しになりましたが、不安はありませんでした。「こんなに夢があって、自分が楽しいことにお金を使うのだから、お金もきっと喜んでくれるだろう」。そう信じていました。

  僕にとっては、お金も「ともだち」と同じような感覚です。お金がしてもらってうれしいこと、喜ぶだろうなということに使ってあげれば、必ず、いい結果をもたらしてくれます。それを、損得だけで考えようとすると、絶対に損をするような気がしています。人間関係と同じです。

  はたから見れば、本を売ったり、雑誌を作ったり、エッセイを書いたりと、まったく違うことをやってきた人生に見えるかも知れません。けれど実際には、その時々で自分がしてもらったら嬉しいことを人にすることを仕事にしてきたことが予期せぬ縁や出会いで形になり、アウトプットされているだけ。それが、時には本屋になったり、雑誌になったりしているだけ、なのです。

自分で歩いて、自分で感じて、自分で考えるクセをつける

クリエイティブでいるために、松浦さんが心がけていることはなんですか?

松浦 子どもの頃から、「何でもベストテン」を作るのが好きでした。学校から家に帰るまでのベストテンとか、表札ベストテンとか、好き勝手にいろいろと考えるんです。振り返ると、それが一番、今の仕事に役立っているような気がします。

  たとえば、「おいしいカレー屋ベストテン」を作ろうとしますよね。その時に、インターネットや本で調べるのではなくて、自分で食べ歩いて、自分が感じたベストテンを作る。民俗学者の宮本常一さんの「歩く」「見る」「聞く」という考えがあります。まさにあれです。ああいう風に、自分で歩いて、感じて、考えるクセをつけると、毎日が感動的で楽しくなります。

  駅から会社への道だって、インターネットで調べれば、最短のコースを教えてくれるかも知れないけれど、実際に歩いてウロウロすれば、何通りものコースを楽しめるし、いつもと違う景色にも出合える。仕事のしかただって、僕は毎日変えてもいいと思います。ちなみに、『暮しの手帖』編集部ではよく、席替えもしますね。

  それと、僕は民話が好きです。昔、ある民俗学者が沖縄の伊良部島に民話の採集に行って、「究極の民話」を発見したという話を聞きました。なにが究極かというと、たった20数文字しかない。「家に帰って戸を開けたら、これくらい(20センチくらいの幅を両指で示す)の虫がいた」という、ただそれだけの内容です。それで、地元の人はおかしくなって、ゲラゲラ笑うらしいのです。

  そんな単純な話でおかしくて笑えるなんて、とても幸せなことだと思いませんか?

  僕は新聞も雑誌も必要最小限しか読みませんし、テレビは一切見ません。与えられた情報をあまり詰め込んでしまうと、さっきの民話のような、生活のなかにあるはずの小さな驚きや感動が薄くなってしまうような気がするからです。

感度を良くするために、必要なことはなんでしょうか?

松浦 多くのコトやモノから手を離し、一人の時間を持つこと、よく考えること、だと思います。非常に孤独にもなりますが、それを怖がっていると、ほんとうの創造性は生まれてきません。自分がどう生きるか、どう生きていきたいのかも、一人にならなければ、見えてこないものだと思います。

  前に進もうとする時、僕がよくイメージするのは海です。岸辺が見えない沖の方まで泳いでいって、さて、自分はどっちの方向に進もうか、と考える。360度、どちらにも進めます。そうした状況のなかで、ほんとうに後悔しない選択をするには、やはり、人から与えられた情報ではなくて、「何が正しいか」という自分だけの判断軸を持つべきだ、と僕は思います。

  もちろん、そうやって自分の頭で考えて、自分の軸で判断していくと、失敗も多くなります。すんなりコトが運ばなくて大変だったり、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりするかも知れません。しかし、人生はそれでいいのだし、失敗があるからこそ、おもしろいことにも巡り会えるような気がします。

「最低で最高の道」を行く

著書でよく、高村光太郎さんの「最低にして最高の道」を読んで
感動された話を書かれています。最後に、この詩になぜ感動されたのか、
また、松浦さんにとって「最低にして最高の道」とは何か、を教えて下さい。

松浦 僕がその詩に出合ったのは、10代前半の頃でした。自分は何が好きで、何が嫌いか、もよくわかっていませんでした。

  その詩に出合うまでは、ものごとは何でも最高であることが一番だ、と思っていたんです。テストは100点とらなきゃいけない。学校でも、世の中でも、人に対しても、常に最高の自分、かっこいい自分を見せないといけないのだろう、と思っていました。つらいし、息苦しいし、悶々としていましたね。そんな時に、それまでまったく考えもしなかった「最低で最高の道」というのがあるよ、と教えてもらった。

  それは、新しいモノに触れたというか、それまでの僕の価値観をひっくり返すくらいの大きな衝撃がありました。「そうか、最低でもいいんだ、その中で最高の道を行けばいいんだ」と、急に視界が開けた気持ちにもなりました。

  考えてみれば、良くもあり、悪くもあるのが人生です。人間だって、そうでしょう。欠点ばかりを消そうと思うと、魅力はなくなる。両方をありのままに調和させて生きていくことが、人間らしく生きるってことなのだな、と感じました。

  仕事もおそらく、同じだと思います。いいこともあるし、悪いこともある。けれど、その両方があるから楽しいし、続けていられる。ダメな自分を見せないようにして、かっこばかりつけていたら、楽しいことなんて何も見えてきません。

  僕は仕事仲間とも読者ともありのままで向き合いたいし、みんなで感動を分かち合いながら「最低で最高の道」を行こうよ、と思っています。

 

*「最低にして最高の道」 (『高村光太郎詩集』伊藤信吉編 新潮文庫より、原文ママ)

もう止そう。
ちひさな利慾とちひさな不平と、
ちひさなぐちとちひいさな怒りと、
さういふうるさいけちなものは、
ああ、きれいにもう止そう。
わたくし事のいざこざに
見にくい皺を縦によせて
この世を地獄に住むのは止さう。
こそこそと裏から裏へ
うす汚い企みをやるのは止そう。
この世の抜駆けはもう止そう。
さういふ事はともかく忘れて
みんなと一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸のこころで
らくらくと、のびのびと、
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑うもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆかう。

松浦弥太郎(まつうら・やたろう)


 

1965年、東京生まれ。『暮しの手帖』編集長、書店店主、文筆家。高校中退後、渡米。帰国後、オールドマガジン専門店「m&co.booksellers」を東京・赤坂に開業。2000年、トラックによる移動書店をスタートさせ、02年、東京・中目黒に「COW BOOKS」を開く。06年より『暮しの手帖』編集長に就任。著書に『最低で最高の本屋』(DAI-X出版)、『本業失格』『松浦弥太郎随筆集 くちぶえサンドイッチ』(ともに集英社文庫)、『今日もていねいに。』(PHPエディターズ・グループ)、『松浦弥太郎の仕事術』(朝日新聞出版)などがある。

暮しの手帖社ホームページ


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