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2008年2月号 新シリーズ幸せに満ちた生活提案2回 幸福を意識せずに自然に暮らせることそれが人々にとっての一番の幸福前・矢祭町町長根本良一さん

どの地域に住むか、どんな町で暮らすかによって、人生の形は大きく変わります。そこには、住民サービスを担う自治体行政のあり方が深く関わっています。行政は住民の幸福にどの程度寄与できるものなのでしょうか? あるいは、私たちは自治体の行政にどの程度期待していいものなのでしょうか? 「幸せに満ちた生活の提案」の第2回は、人口7000人に満たない地方の小さな町で、非合併吸収の方針を貫きながら、充実した住民サービスを実現した福島県矢祭町の前町長、根本良一さんに話をうかがいました。「出張役場」「年中無休の役場」「議員の日当制」などの独創的な施策を次々に生み出した「地方自治のカリスマ」が考える幸福の形とは?

「合併しない宣言」と住民の「幸福」

2001年の矢祭町の「合併しない宣言」は、全国に波紋を投げかけました。根本さんは、合併を拒否することと町民の幸福は両立すると考えていましたか?

 行政というのは財政そのものであり、財政において最も重要なのは適切な運用です。合併しようがしまいが、財政をきちんと運用しなければならないことに変わりはない。財政が苦しいから合併しようというのは、町民に対する背信行為です。

 そもそも、矢祭に住んでおられる皆さんの現在の生活は、昔からの長い積み重ねでこうなったもんでしょ。「これはこうしよう、あれはどうしよう」といって人為的に決まったものではないんだ。合併によって、その生活が大きく変わってしまう可能性があった。合併というのは、人々の生活を薄めるものです。自治体の規模が拡大するわけだからね。それはよろしくない。合併がすべて悪いことではないかもしれないけれど、しかし住民の生活を薄めない合併というのはありえない。だから私は、合併しない方が町民の皆さんの幸福になるだろうし、生活も豊かになるだろうという判断をした。実際にそうなったな。

 この町は豊かになった。合併しないことを宣言することによって、非常に豊かになった。平成16年統計で、ひとり当たりの分配所得(※)が320万円ちょっとになっています。これは県内市町村で上から7番目の数字だ。福島市や郡山市を抜いているんです。私が町長になった頃は、県内90市町村で、80番目より上ではなかった。平成17年統計では、順位はさらに上がるでしょう。

 豊かになった主な要因としては、「合併を選択しない以上、自力でやっていかなければならない」という危機感をみんながもって、行政の無駄を省く努力をしたこと。それから、企業誘致に成功したこと。この二つが大きい。

(※)雇用者報酬に財産所得と企業所得を加えたもの。

経済的な豊かさと幸福との関係をどう考えていらっしゃいますか?

 「豊かさだけで幸せになれますか?」という問いをマスコミ始めみんなが発しているな。みんなが疑問に思っている。私の考えは、こうです。

 私は小学二年の時に終戦を迎えた。終戦直後の日本の経済規模は、アメリカとの戦争の末期の頃のベトナムと同じくらいだった。食料はなかったし、チフスだの赤痢だのも流行っていた。平均寿命も短かったね。50歳くらいでしょう。あの頃の辛さといったら、どうしようもなかった。だから、「豊かになる」ということが最も重要な国策でなければならなかった。本来、日本人は、経済的な豊かさのみをよしとする国民ではなかったと思いますよ。しかし、戦後のあの時期は、経済を何とかしなければならなかったんだ。

 戦後、日本の経済は何とかなった。みんな食えるようになった。何とかなったけれども、「経済が一番大事」という考え方は今も続いている。こういう考え方は、どこかで一回切らなければならないな。経済のみに囚われるのではなく、それ以外の価値とのバランスを取っていかなければならない。これからはそうですよ。

 ただしだ。やはり豊かさは大事だよ。私も役場に長くおりましてね、経済が重要と常々考えてきましたよ。経済をさておいて、「幸福というのは金銭物質とは違うところにあるのだから、家族で団欒、家庭は円満、知的教養を高めて、自然を愛してればいいんだ」と──そんなのはだまくらかしでしょ。経済的な裏づけがなければ、幸せになどなれるはずがない。まずは豊かさあっての幸せだ。その考えは変わらないな。

現在の矢祭町の皆さんに「幸せ」という実感はあると思いますか?

 実感はないでしょう。ないことこそが幸福であると、私は思っている。

 今、日本全体はいい方向には行っていないでしょ。自動車の国内生産量が減ったとか、サブプライムローンの影響がどうしたとか、円高が進んでいるとか。経済の指標はおそらく今年は下がるだろうと言われている。一方、矢祭の人たちの生活は、そこそこ安定しています。しかし、自分たちの生活が安定しているということは、実感としてはわからないことです。苦しいことがあればわかる、しかし日常普通のことはわからないっちゅうのが、生活している人の感覚ですよ。私はそれでいいと思う。自分たちが豊かであるかどうかを意識せずに自然に過ごしておられるというそのことが、昨日も今日も変わりなく生きておられるというそのことが、まさしく幸せということですよ。私は、住民の皆さんのそういう生活を実現することこそが、政(まつりごと)の要諦だと思うね。

行政側の人間にとっての「幸福」とは

「合併しない宣言」以降、根本さんは、役場を年中無休にしたり、職員の自宅で事務取り次ぎをする「出張役場」を実現させるなど、役場のあり方を大きく変え、住民サービスを充実させました。一方の役場の職員の皆さんの幸福は実現しましたか?

 役場の改革に関して一番大事なのは、職員の生活権を守り、報酬をしっかり支払うことだと私は思っておった。「町民を幸せにすることが大切なのだから、お前さんたちは給料安くてよかっぺ」、それでは駄目だ。「金がねえから、お前さんたちの給料、ちょっくらまけてくれろ」と言っている自治体が実際にあるんだ。それは駄目だよと。給料はしっかり払いますよ、ただし仕事はちゃんとやれよと。それが大事だと考えていた。

 しかし、大事なことはそれだけではないんです。かつて、町民は役場の職員を評価していなかった。「たいした仕事してねえんでねえの?」「弁当食いに役場に来てんでねえの?」とみんな思っていた。これには、役場の人間が自己本位であったという理由もあったと思う。これは矢祭だけの話ではないね。全国どこでもそうでしょ。

 しかし、合併しないことを宣言して、職員が一丸となって役場のあり方を変えてから、町民は役場の人たちを評価するようになった。マスコミで矢祭のことが頻繁に取り上げられるようになってから、「矢祭の町役場の人は頑張ってんだね」と町民は思うようになった。今は、役場の人間を馬鹿にする町民はひとりもいないぞ。こういうことはよその町ではないことだわな。評価される、褒められる、頼りにされる。そういうものの価値は非常に大事だよ。「それがあなた方の誇りなんでないの?」と私は職員に言いたいな。町民の皆さんから評価を得て、一生懸命働いて、定年退職を迎えられるということは、素晴らしいことだ。まさしく、それが役場の人間の幸せだと思いますよ。

「公」は人々の幸福にどのように関われるとお考えですか? 「公」のあり方についてのご意見をお聞かせください。

 役場が人々の生活の幸福のすべてに関われるというものではないですよ。そうであったらたいへんだ。それは独裁であって、民主主義ではない。しかし、人々が生活するに当たって、最低限、役場が担わなければならないことはある。それをきちんとやれるかどうかに「公」のあり方がかかっている。この町では、それをやれた。

 学校、給食センター、プール、集会場。町でやるべきハード事業は、私が町長時代にカンナで削るようにきれいにやってしまった。水道や町道の改良もやった。今後は、ソフト面の課題が残っている。子供を育てやすいような、年寄りが生活しやすいような、あるいは若い人が定着するような、そんな町にしていかなければならない。

 しかし町民に対しては、インフラ整備はやり尽くしただの、これからはソフトしかやることがないなどと限定的なことを言うべきではないな。やはり生活には夢が大事です。「皆さんに夢があるのなら、全部言ってみろ。叶えてさしあげるから」と、「公」の側は、常にそのくらいの大きな構えでいなきゃならん(笑)。

リタイア後の「幸福」の形

町長をお辞めになってから、生活は変化しましたか?

 楽になったね。こうやって家でお茶飲みながらインタビューに応じられるんだから(笑)。しかし、まだ枯れてはいないですよ。私は、実は町長としてやりたいことがまだあった。しかし、それに手をつけたらもう一期やらなければならない。このうえ4年間も町長を続けるという選択肢はありえなかったから辞めた。

 私がやりたかったことのひとつは、議員報酬の改革ね。すでに議員の日当制というのが実現しているけれども、これをもっと推し進めたいと考えていた。これは矢祭町だけの問題ではないよ。全国の議員、指導者の皆さんに反省を促すためにもなんとしてもやりたかった。議員は自己本位にお金を貰いすぎている。給料はもっと少なくてもいいというのが私の考えです。

 もうひとつは「第二役場」。これは私の発明以外の何ものでもない。「合併しない宣言」以降、100人以上いた役場の正職員、嘱託職員が、60数名になった。首を切ったわけではないよ。自然減でそうなった。さらに団塊の世代が退職すると、50数名になります。では、人が減った分の仕事はどうするか。残った職員がその分余計にやるというのは、私は違うと思っている。役場には、どうしても正職員がやらなければならない仕事というものがあるが、それはせいぜい50パーセントです。残りの50パーセントは、ほかの人がやってもいい。その仕事をするための機関が第二役場です。

 第二役場は民間ではない。役場に勤めていたOB、OGが、例えば3年間に限って仕事をする場所です。そこには第二の町長がいて、数人の職員がいる。それぞれの年俸は、現職時代の3分の1程度とする。そこに役所の仕事を渡せば、正職員が減っても行政が滞ることはない。住民サービスの質も下がらない。むしろよくなる。

 それからもうひとつが役場の体勢ね。マンパワーをどう効率的に活かすのかといったことを考えて、採用の方針や職員の構成を変える。

 以上の3つは、全国の自治体が遅かれ早かれ考えなければならないことです。矢祭はその先頭に立たなければならんと私は思っている。もちろん、いつまでも舅(しゅうと)様みたいに町政に対して目を光らせる気はない。でも、言い分はあるよ。24年間も町長をやってきたわけだから、町長を長年経験してきた一個人として、「これだけはやんなきゃ駄目だぞ」「これだけはやってはなんねえぞ」という意見はある。それは折に触れ言ってくつもりだ。

これからの生き方について、どう考えていらっしゃいますか?

 私はあと10年で死ぬだろうと思っている。まあ、もう少し生きるかもわからないが、人間の「現職」としては、せいぜいあと10年だな。その10年を、立ち止まることなく、今までの流れと積み重ねの中で暮らし、そのままで逝きたいと思ってるね。立ち止まって楽になろうとは思わない。個人的な趣味もない。退職したら、犬の散歩をしたり、旅行したり、観劇したりしてゆっくり過ごすということが世間にはあるのかもしれないが、私は違うな。この町はどうあるべきか、どうしていくのがいいのか。そういうことを考えながら逝きたいと思う。

 仕事を辞めたら、家内や娘と旅行しようということも考えていたのだけれど、結局一回も行っていない。家族にはすまないなと思ってるよ。家内も私のところに嫁に来なければ、もっと楽しい人生を送れたろうに。まあ、これは仕方がないことだな(笑)。

根本良一(ねもと・りょういち)


1937年生まれ。学校法人石川高等学校卒業。高校3年生の時に父親を交通事故で失い、進学を断念。家業の家具店を継ぐ。1983年に矢祭町長に初当選し、以後6期24年間町長を務める。平成の大合併に抗した「合併しない宣言」や住民基本台帳ネットワークへの不参加表明によって、全国的に有名となる。任期満了を迎えた2007年4月に町長の職を退いた。共著書に『「内省不疚」の心でまちをつくる──「合併しない宣言の町」の自立推進計画』(自治体研究社)などがある。


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