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2008年12月号 21世紀を生きるための新しい価値観6回 「ロハス」その2 分子生物学者福岡伸一さん

 前回は、ロハスという言葉の意味や来歴、背景などについて語ってくださった福岡伸一さん。その話は、サステナビリティから「食」の問題、ロハスを実現するためのコストの問題などに及びました。2回目となる今回は、福岡さんの専門である分子生物学とロハスとの関係、ロハスの根本にあるイマジネーションの問題、さらには「エコ」と「エゴ」の距離感などについて語っていただきました。幼少時は昆虫少年であり、長じては、長い間生物学の研究に携わってこられた福岡さんならではの独自の知見が溢れています。

食べたものは、目に見える

お金に関する「遠近感のズレ」というものは、確かにあると思います。ブランドの服を着て、高い車に乗って、インスタント食品を食べるというようなライフスタイルは、やはりどこかずれていますよね。しかし一方で、社会生活という視点で考えれば、身につけるものや車など、目に見えるものにお金をかけたくなる心理もわかるような気がします。

福岡  食事は、食べてしまえば外からは見えませんからね。しかし、分子生物学の観点からすると、必ずしもそうではないんです。イギリスに「You are what you eat.」ということわざがあります。「あなたとは、あなたが食べているものである」という意味ですが、もう少し意訳すれば、「人間とは、食べているものによって構成されている」ということになります。これは実は、分子生物学に見ても真実なんです。

 私たちの体は、生物学では「動的な平衡状態」にあると解釈されています。何かを食べると、その食べたものの分子がそれまで体の中にあった古い分子と即座に交換されます。つまり体の中の分子は常に「動的な」状態にあるわけです。しかし、分子が交換されても、体そのものの形や機能が変わるわけではない。その点では「平衡」を保っている。それが「動的な平衡状態」ということの意味です。

 外から見える私たちの顔や手や首はすべて食べ物の中にあった分子によって常に新たにつくり直されている。そう考えれば、「食べたものは外から見える」と言えるわけです。

なるほど。よい食材を食べて、よい分子を取り込めば、体そのものに反映されるわけですね。

福岡  そういうことですね。逆に、人工着色料や保存料などを摂取すると、体の中で使われない分子を取り込むことになります。体はそれを排除するために余分な力を使わなければなりません。それは体にとって負荷になります。その負荷が20年、30年と続いたらどうなるか。そういうことを研究している人は誰ひとりいません。結果が出るまでに30年を要する研究をしようと思う人など、誰もいないからです。しかし、その負荷が体の健康を損なう可能性があることは、容易に想像できることです。

 したがって、こういうことが言えるのではないでしょうか。体が本当に必要としている健康的なもの、つまりロハス的な食材を食べ、余計なものを食べない人は、おのずと健康的になり、見た目もおのずとかっこよくなると。

生命や環境全体の流れを大きく捉える

ロハスという言葉との出会いによって、分子生物学者としての視野が広がったという実感はおもちですか?

福岡  分子生物学とは、生物をできるだけ細かく分けて考える学問です。臓器、細胞、分子、遺伝子──そうやってどんどんパーツを小さく分割していって、分割されたパーツから生物について考える。それが分子生物学です。

 では、そのミクロのパーツをプラモデルのように組み合わせれば一体の生物になるかといえば、そうではありません。命をもつ生物には、パーツを単純に組み合わせてできる以上のプラスアルファが必ずあります。ロハスという言葉と出会った時、そのプラスアルファこそが分子生物学とロハスをつなぐ要素なのではないかと私は考えました。では、そのプラスアルファとは何か。

 例えば、こういう考え方があります。私たちの体の中には、宇宙からやって来た“生気”が宿っている。その証拠に、人は死んだ瞬間にふっと軽くなる。それは生気が体から脱けて、その分、質量が減るからである。この生気こそがプラスアルファである──。ほとんどオカルトですが(笑)、こういうことを真剣に唱える人が昔からいたし、今もいるんです。こういう考え方はむろん論外ですが、では、プラスアルファとは本当のところ何なのか。現代生物学は、それを「エネルギーと情報のやりとり」であると解釈しています。

 例えば、4つの分子が寄り集まってできたひとつの集合は、1+1+1+1で4ということになりますよね。しかし、生物にとって重要なのは、「4」という大きさではなく、その集合がどういう働きをするかなんです。これは、音符で考えるとわかりやすいと思います。4つの音符があった場合、重要なのは音符そのものではなく、その音符がどういう音を表し、その音が重なったり連なったりしてどういう和音やメロディができるかです。その場合の音がすなわち「エネルギー」であり、和音やメロディがすなわち「情報」です。そのエネルギーと情報によって、音楽という「働き」もしくは「効果」が生まれるわけです。

 パーツが合わさることによって生じるプラスアルファとは、エネルギーと情報のやりとりによってもたらされる「効果」である。つまり、生命現象とは、物質そのものではなく、物質の「働き」である。こういう生命観は物質主義の対極にあるもので、ロハスにつながるものです。生命とはモノではない。同様に、人生の豊かさもモノではない。そのモノが私たちに何をもたらすか、私たちに何を与えてくれるかこそが大事である──。これは非常にロハス的な思考と言っていいのではないでしょうか。

エコロジー、あるいは「地球に優しい」といった言い方とロハスとの関係については、どのようにお考えですか?

福岡  多くのエコロジー運動は、小さな視野の中で完結してしまっているような印象を私はもっています。ゴミをきちんと分別しましょうとか、エアコンの温度を28度に設定しましょうといった取り組みがエコロジーの運動であるとするなら、その取り組みの背景にあるものをもっと広く考えて、生命や環境全体の流れを大きく捉えること、それがロハスではないかと私は解釈しています。 

 生命現象、あるいは自然界はぐるぐる循環しています。食べ物の中の分子は人間の体の一部になるけれど、また人間から出て行って、ミミズの一部になるかもしれないし、岩石の一部になるかもしれません。地球全体を見ると、元素の総和はほとんど変わらないんです。たんに状態が変わっているにすぎません。その循環こそが自然のあり方であるとすれば、私たちは循環を止めないようにしなければなりません。例えば、ペットボトルは炭素の固まりです。それを地中に埋めてしまうと、そこで炭素の循環は止まってしまいます。だから、不燃物を埋め立てるという行為は、ロハス的ではないわけです。

 このようにして、できるだけ大きな視点であらゆるものを考えていく。それがロハスであると私は考えています。

「サステナビリティ」と「ヘルス」は表裏一体

ロハスとは「イマジネーションを豊かにもちましょうという勧め」というお話がありましたが(前回参照)、こうしてうかがっていると、確かにイマジネーションが豊かになっていくような気がします。

福岡  想像力こそがロハス的思考の中心にあると言っていいかもしれませんね。例えば、二酸化炭素がなぜ今問題とされているかということも、想像力がないと本当には理解できないはずなんです。二酸化炭素とは何でしょう。それ自体は毒でも何でもなく、炭素の循環の一形態にすぎません。Cに2つのOがついている、つまり酸化された炭素が二酸化炭素です。一般に、地球上の物質は酸化すると使い道がなくなります。錆びた鉄は、もはや鉄としては使えませんよね。酸化されたものは、何らかの形で別なものに変換されなければなりません。そうしなければ、地球上に酸化した物質がどんどん蓄積していってしまうからです。

 自然界には、それ自体では使い道のない酸化した炭素、つまり二酸化炭素を別のものに変えてくれるシステムが備わっています。それが植物の光合成です。植物は太陽の力を借りて、二酸化炭素から炭水化物をつくります。その循環を止めさえしなければ、二酸化炭素が地球上にたまっていくことはないわけです。しかし現在は、二酸化炭素の量がその循環のスピードを上回ってしまっています。それを改善するには、二酸化炭素の排出量を減らすか、二酸化炭素を処理する能力を高めるかのどちらかしかありません。排出量を削減するには無駄に化石燃料を燃やさなければいいわけで、それはある程度人間の工夫でできることです。一方、二酸化炭素を処理して別の物質に変えるということは、どんな技術を使ってもできません。それができるのは植物だけです。

 ですから、私たちにできることは、二酸化炭素をできるだけ出さないようにすることと、今ある環境を損なわないようにすること、あるいは、緑をもっと増やしていくことです。さらに言うと、環境の保全や育成は、陸地に限りません。海の中にいる小さな単細胞植物も、実は活発に光合成をしています。ですから、水を汚さないということもとても大切なんです。

逆に、そういったイマジネーションが、現在の私たちの生活を拘束してしまうような気もします。想像力が豊かになるほど、「あれをしてはいけない」「これはすべきではない」といった意識が強くなりますよね。

福岡  ロハスのイマジネーションというのは、地球という空間に対するものであると同時に、時間に対するものでもあります。あらゆる環境運動は、実は「未来の人々との対話」であると言っていいと思います。今、環境運動に取り組んだとしても、すべてがすぐに劇的に変わるわけではありません。しかし、100年後の人々に対しては、何らかの影響を与えるでしょう。「100年後のことなど俺の知ったことではない」という立場ももちろんありえます。一方、「100年後の人たちに対する責任を果たしたい」と考えることもできます。ロハスは、後者に基づいた考え方です。

 しかし、「絶対にこうすべきだ」とか「これをしてはいけない」とか、しゃかりきになる必要はないと思います。今、私たちが生きているということの方が絶対に大切だからです。ですから、「今生きている」ということのうちのせめて10パーセントくらいは、未来の人たちのためになるように工夫してみよう──その程度に考えるのがいいのではないでしょうか。「エコ」と「エゴ」を対局の軸として設定した場合、ロハスはずっと「エゴ」に寄っていていいと思うんです。しかし、完全にエゴの方に振り切れているのではなく、10パーセント分はエコの方に寄っている。そんなイメージですね。

 もっとも、エコへの取り組みは、結局のところ自分自身に返ってくるんですよ。周囲の環境がよくなれば、食べるものがよくなります。いいものを食べれば、私たちの体が健康になります。環境は、いわば食べ物を通じて私たちの体を通り抜けていっているわけですから、私たちと環境とは不即不離であり、ロハスという言葉に含まれている「サステナビリティ」と「ヘルス」もまた表裏一体であるということです。

福岡さんご自身は、日常的にロハス的な取り組みはされていますか?

福岡  出所がわからないような牛肉は食べないとか、スーパーで買う時にはラベルを見るようにするとか、その程度ですね。みんなで食事に行った時に、店員さんに「この肉の産地はどこですか?」と尋ねて、店員が言い淀んだ場合は、憮然として席を立って出てくる──みたいなことはもちろんしません(笑)。

 みんなで食事を楽しむ時は、細かいことは気にせず楽しめばいいんです。その分、家で何かつくる時には、例えば、千葉県の農家がつくった有機野菜と、有機農法でつくった肉で料理をつくってみるとか。具体的な取り組みはそのくらいでいいと思っています。ほどほどをよしとするのもまた、ロハスなんです(笑)。

門脇仁(かどわき・ひとし)


1959年東京生まれ。京都大学卒業。米ロックフェラー、ハーバード両大学の研究員、京都大学助教授を経て、現在は青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授。専門は分子生物学。『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)で第29回サントリー学芸賞を受賞。ほかに『もう牛を食べても安心か』(文春新書)、『ロハスの思考』(ソトコト新書)、『できそこないの男たち』(光文社新書)などの著書がある。

『できそこないの男たち』
(光文社新書)
福岡氏の最新著作。生物学の視点から男女の 「本当の関係」に迫るスリリングな一冊。
  『ロハスの思考』
(木楽舎ソトコト新書)
ロハスな考え方のために必要な様々なヒントを提示するサイエンス・エッセイ集。
坂本龍一、ヨーヨー・マらとの対談も収録。


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