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2009年6月号 絵本をめぐる世界第5回 クレヨンハウスでの33年間 作家、クレヨンハウス代表 落合恵子さん

33年前、東京・神宮前に一軒の小さな子どもの本の専門店がオープンしました。アナウンサーから作家に転身された落合恵子(おちあい けいこ)さんが私費を投じて設立された「クレヨンハウス」です。このお店には、それまでの日本の書店にはなかった独自のコンセプトがありました。それは、落合さんご自身の子どもの頃の体験と結びついたものでした──。絵本と、それを読むすべての人への愛情に満ちた心温まるインタビューをお届けします。

本を座り読みできる本屋さん

子どもの本の専門店を始めようと思われたきっかけは何でしたか?

落合  クレヨンハウスを始めたのは、今から33年前のことでした。その頃、私はよく海外に取材に行っていました。海外、とりわけ欧米の多くの国には、市に一軒くらいの割合で子ども向けの本屋さんがあるんですね。店の中に本を座り読みできる小さなテーブルがあって、子どもたちがみんなそこで本を読んでいるわけです。

  ある時、そんな本屋のひとつを訪ねると、ひとりの子どもが私にこんなことを言いました。「うちのママもこのテーブルで、この椅子に座って本を読んだんだよ。知ってる? うちのママって、昔は子どもだったんだよ」。思わず笑ってしまいましたが、本当に素敵な言葉だなと思いました。「そうだよね、ママも子どもだったんだよね」、そんなことを言いながら、こういう店が日本にもあったらいいのにと強く思いました。今楽しそうに本を読んでいる子のママが、子どもの頃に同じように本を読んでいた本屋さん。この子のお父さんがずっと昔にナイフで削ったイニシャルが、そのまま棚に残っているような本屋さん──。そんな店って、ほんと素敵でしょ。

  そういう本屋さんを回っているうちに、私は自分が子どもの頃のことを思い出したんです。私は昔、「いつか、はたきをかけられない本屋さんがやりたい」とよく考えていました。私たちが子どもの頃って、本屋さんで立ち読みをしていると必ずはたきをかけられたんですよ。今思えば、本を汚されるのが嫌だったのでしょうけれど、私はいつまでもそこで本を読んでいたかった。小さかった頃のそういう気持ちがよみがえって、ずっと本を読んでいても叱られない、はたきをかけられることもない、そんな本屋さんを自分でやってみたいと思うようになりました。

  ちょうどその頃出版していたエッセイのシリーズがわりとよく売れていて、まだ会社員だった私から見れば驚くほどの印税をいただいていました。その印税の使い途としても、本屋さんをつくるのはいいアイデアだと思いました。元来私は、洋服とか靴は既製品で十分なんです。でも、ほしいものがない時には自分の手でつくり出すしかないと思っています。クレヨンハウスも、そうやってつくった手づくりの本屋さんというわけです。

30年以上にわたってお店を経営する中で、最も苦しかったことは何でしたか?

落合  私たちは、夢や志や理想をとても大切にしています。ですから、苦労話はできるだけしないようにしています。あえてひとつ挙げるなら、「子どもの本の専門店」とはいったいどういうものなのか、それをいろいろな人に説明しなければならなかったことがたいへんでした。オープンして3、4年は、「子どもの本の専門店って何ですか?」と聞かれ続けましたね。のちに女性の本の専門店(ミズ・クレヨンハウス)を始めた時も、オーガニックの八百屋さん(野菜市場)を始めた時も同じでした。それまでになかったものをつくると、どうしても説明が必要になるんですね。

 でも、もし説明の必要がなく、すっと世間に受け入れられてトントン拍子でうまくいっていたら、私はそれほど燃えなかったと思います。「まだみんなに伝えられていないんだ、階段で言えばまだ3段目くらいなんだ」。そう考えて、そこから8段目、10段目を目指すためにスタッフのみんなと一緒に頑張りました。たいへんなことはいろいろあったけれど、とっても楽しかった。文化祭みたいで。

とくに楽しかったことは何でしたか?

落合  全部です。辛いこともひっくるめて、すべてが楽しかった。私の本来の職業は物書きですが、物書きって、人間として少々いびつでも通るものなんですよ。むしろ少しくらい変わっていた方がいいという風潮がないとは言えない。でも、私はそれが嫌なんです。物書きだから大目に見られるとか、物書きだから社会人として駄目でも許されるとか、そういうことってとても恥ずかしいことに思えます。私は物書き以前に、ひとりの人間としてありたいと思ってきました。クレヨンハウスは、そういう私の存在をいわば補ってくれる空間でした。クレヨンハウスの仕事は、みんなで力を合わせて、お互いにいろいろなことを伝え合いながら進めなければなりません。それは、ひとりでやる仕事とは違った意味で楽しいし、やりがいのあることです。ほんと、あらゆることが楽しかったし、あらゆることが面白かった。

自分だけの本を自分で見つけてほしい

クレヨンハウスは、どのような社会的な役割を担っているとお考えですか?

落合  とくに大げさな役割はないと思いますよ。でも大切にしてきたことはあります。それは、「権威にはならない」ということ。この店の中で一番偉い人がいるとすれば、一冊の本を手に取って読んでいる人たちであって、私たちがやっているのは、できるだけ見やすく本を並べたり、種類を多く揃えたり、環境を整えたりして、本を選ぶお手伝いをすることだけなんです。だから、本屋の側が権威になってはいけなくて、いつもアマチュアの視点をもっていなければならない。そう考えています。

 私たちは、専門的な言葉で絵本を解説したりはしないし、人気絵本のベストテンを発表したりもしません。専門的な言葉で話したのでは相手に伝わらないし、ベストテンを出してしまうと、それを見て本を選ぶ人が増えてしまうでしょう。この店に来た人には、自分の感受性と論理性で、自分だけの本を見つけていただきたいです。

絵本のラインナップはどのようにして決めるのですか?

落合  新刊が出るたびにスタッフみんなで会議をして、一冊一冊考えながら選んでいます。それぞれのスタッフの好みがあるから、棚の取り合いになることもしょっちゅうですよ(笑)。もちろん新刊だけではなく、20年、50年前に出版されて現在では手に入りにくいような本も、できるだけ揃えておくようにしています。

  品揃えの方針は二つです。まず、暴力的な本や差別を助長するような本は置かないということ。それから、可能な限り種類を多く揃えるということです。本の種類が多ければ、それだけ選択の幅が広がりますから。

たとえば初めてのお子さんが生まれたお母さんやお父さんの中には、絵本選びに戸惑う人も多いと思います。そういう人たちへのアドバイスはありますか?

落合  迷ってください、絵本とのお付き合いはそこから始まります──それがただひとつのアドバイスです。絵本選びのポイントを箇条書きにするのは簡単ですよ。でも、読書というのは、自分自身で迷いながら時間をかけて本を探すところから始まるんです。

 これは子ども自身が本と接する時も同じです。『かいじゅうたちのいるところ』(冨山房)という作品を書いたモーリス・センダックという人がいます。彼は子どもの時にお姉さんから一冊の本をもらいます。それが初めての本の体験だったのですが、すぐに読んだわけではないんですよ。最初は本を両手で抱えてみて、匂いを嗅いでみて、囓ってみる。そこから本の体験が始まったわけです。読書の旅は「読む」ところから始まる。そう私たちは考えてしまうけれど、実はそうじゃなくて、体の全部を使って本と接するところからお付き合いは始まるんです。

  だから、本のあるスペースに来たら、全身で本と触れ合ってほしいんですよ。本がある風景の中で走り回って、歩き回って、深呼吸して、飽きたら外に出て、入りたくなったら入る。それでいいんです。店の中で寝ちゃう子もいるけれど、まったくかまいません。「いっそ店に布団を置こう」と言ったら、さすがにスタッフに笑われましたけれどね(笑)。そういうことの全部がその子にとっての読書体験なのだし、絵本というメディアはそれだけの包容力をもっていると私は思っています。

捨て犬と一緒に山奥で暮らしたい

子どもの本の専門店、女性の本の専門店、オーガニックレストラン、有機野菜販売と、いろいろな領域にチャレンジして成功されてきましたね。夢を実現させる秘訣は何ですか?

落合  確かにいろいろなことをやってきましたが、私にとってはすべてがひとつなんですよ。本は心の栄養ですが、体の栄養も大切です。安心できて、安全で、自分にプラスになるものを心にも体にもあげたいじゃないですか。だから、絵本を手渡すのも、野菜を売るのも私の中では同じことなんです。

 振り返ってみればいろいろなことを成功させてきたように見えるかもしれないけれど、私はほかのことを捨てながら夢を実現させてきたと思っています。何かを実現させようと思ったら、何かを捨てなくちゃいけない。いろいろなことを捨てながら大切な夢を叶えようと思う、それでも夢のままに終わってしまう夢もある。それが人の人生ですよね。

これからの具体的な夢や目標をお聞かせいただけますか?

落合  今後のことはわかりません。何しろ、私はずっと思いつきで生きてきましたから。ある日思いついたら走り出して、走り出したら実現させるために頑張る。それが私の自前の生き方です。幸い、仲間にも恵まれているので、これからも面白いことを思いついて、みんなで楽しく遊んでいきたいと思っています。

 私のモットーは「積極的その日暮らし」なんです。その日暮らしというと寂しい感じがするけど、そんなことはないんですよ。昨日は過ぎてしまった。明日はまだ来ていない。だから今を積極的に楽しもう──。それが「積極的その日暮らし」ということです。

だから、今日のことはわかるけど、これから先のことはわかりません。第一、夢や目標があっても、軽々しくは言えませんよ。自分にとって大事なことって、そんなに簡単には人に話せないでしょ。

何かひとつだけでも(笑)。

落合  そうねえ……、捨て犬と暮らすということかな(笑)。

捨て犬ですか!?

落合  60歳になったらクレヨンハウスをすべて次の世代に託して、捨てられた犬や猫たちと山奥で暮らそうと思っていたんですよ。その夢はまだ捨てていません。

 それから、「おばさん」と呼ばれる世代の女性がもっと楽しんで着られるような洋服をつくりたいと思っています。ある年代以上になった女性たちが着る洋服って、ほんと少ないんですよ。

おそらく、それらの夢も必ず実現させるのでしょうね。

落合  面倒くさくなってやめちゃうかもしれませんけどね。でももしかしたら、「山奥で野犬を集めて暮らしている変なおばさんがいる」っていう噂が近いうちに広まるかもしれません。そうしたら、それは私だと思って(笑)。

落合恵子(おちあい・けいこ)


1945年栃木県生まれ。明治大学文学部英米文学科卒業。文化放送のアナウンサーを経て、作家となる。76年に子どもの本の専門店「クレヨンハウス」を開店。以後、女性の本の専門店「ミズ・クレヨンハウス」、有機野菜販売「野菜市場」、オーガニックレストラン「広場」、出版事業など、様々な分野に業態を広げる。近著に『岸っぷちに立つあなたへ』(岩波書店)、『母に歌う子守唄 わたしの介護日誌 その後』(朝日新聞社)などがある。

クレヨンハウス

クレヨンハウスから素敵なプレゼントがございます。

シリーズ「絵本をめぐる世界」のご感想をお寄せください。抽選で6名様に絵本をプレゼントいたします。下記のお申し込みフォームよりご応募ください。ご応募の際に、1)2)のどちらかご希望の番号を明記してください。

1)落合恵子さんが翻訳された
『おやすみ、ぼく』のサイン入り絵本を3名様に

アンドニュー・ダッド/文 エマ・クエイ/絵 

落合恵子/訳 クレヨンハウス/刊

 

2)第4回の記事でご紹介した
川端誠さんの落語絵本を3名様に

川端誠/作 クレヨンハウス/刊

(プレゼントは『じゅげむ』『おおおかさばき』

『めぐろのさんま』のいずれかになります。)

お申し込みの受付は、終了いたしました。


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