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2010年1月号 アラ還暦を生きる人生は60歳から第5回 世界はシンプルだということを伝えたい ドイツ文学翻訳家 池田 香代子さん

「アラ還(還暦=60歳前後)」の方々にお話をうかがうシリーズ「『アラ還』を生きる」。第5回は、ドイツ文学翻訳家である池田 香代子(いけだ かよこ)さんのインタビューをお送りします。『ソフィーの世界』やグリム童話などの翻訳、『世界がもし100人の村だったら』の再話を手がけ、全国で年間100回以上講演をされている池田さんに、翻訳家としての思いやこれからの目標などについてうかがいました。

グリム童話を訳すことで「翻訳は心気臭い」という気持ちを突破

ドイツ文学の翻訳家になった理由やいきさつをお聞かせください。

池田   もともと私は、湿気たほうにばかり行く性格なのです。大学に入った時、英語は不得意だし、フランス語は華やかすぎて落ち着かない。もう少し地味なところがよいと思ってドイツ語を選んだら性に合いました。学生アルバイトでドイツ語の翻訳をするようになり、学生結婚をして在学中に子どもが生まれたので、卒業後も就職をせず内職として翻訳の仕事を続けていました。そして、1976年には夫のドイツ留学に同行し、向こうで大学に入りました。ドイツに留学中、日本の出版社から「グリム童話を子ども向けに何編か訳さないか」という依頼がきて、大人になって初めてグリムを全部読み、とても面白いと思ったのです。

  翻訳は心気臭くてつらい仕事だったのですが、78年の帰国後も、ほかに食べていく方法がないので、翻訳の仕事を続けていました。そうしたら80年頃に、突然知らない編集者が訪ねてきて、「グリム童話の翻訳ができる人が見つかった。あなただ」と言われたのです。私はびっくりしました。ドイツでグリム童話と出会い、いつかはすべてを自分の言葉で訳したいとは思っていました。しかし、グリム童話の翻訳はドイツ文学の重鎮がやるものと相場が決まっており、まさかいつか自分にそんな話が舞い込んでくるとは微塵も思ってもいませんでした。ドイツにいた頃、夫にも誰にも言わず、宿舎の庭にある菩提樹の梢越しに、「グリム童話を私に訳させてください」とお星様に祈っていました。その願いが通じたのかどうかはわかりませんが、たまたま私の翻訳を読んでくれた編集者が、「この人しかいない!」と思ってアプローチしてくれたのです。無論、私はその仕事をお引き受けし、それからはグリム童話の翻訳に入れ込みました。

  ただ、あまりに一生懸命だったので、夜寝ようと思ってふとんに入っても、動悸がして眠れない日々が続きました。仕方がないから起きて仕事をし、寝るのは明け方の数時間です。そんな状態のまま、半年くらいでなんとか3分の1ほどを訳したある日、ドイツ語を見たら、すーっと流れるように日本語が出てきました。そして自然と涙が零れ落ちました。これが「翻訳は心気臭い」という気持ちからの別れでした。

  その後、ある同業者に、「翻訳の仕事はしんどいから、それが反映して、文章が後半になると重くなる。だけど、あなたのは後に行けば行くほどハイになる」と言われたのです。それを聞いて、「突破できた」と思いました。

「あみだくじ」のような作業を延々と続けるのが翻訳

どんなやり方で翻訳していくのでしょうか。

池田   原文を見た瞬間、だいたい5つの可能性を思い浮かべ、その中から瞬時にひとつを選んでいく「あみだくじ」みたいな作業を延々と続けていきます。いくつ可能性を思い浮かべることができるかが勝負です。ところが、“アラ還”になって、それがなかなか出てこない。若い時のように、ぱっと瞬間的に出てきて、どんどん進めていくことができなくなりました。瞬発力と持続力を支える体力が衰えているのです。そこをテクニックでフォローしようとするのですが、新鮮な感性が出てこない。ですから、「アラ還の翻訳の仕方を編み出さないといけない」と、今、模索しているところです。

1995年には、ロングセラーとなっている『ソフィーの世界』を翻訳されました。

池田   分厚い哲学書なので、引き受けるかどうか迷いました。ただ、「ソクラテスの哲学は声の中にあった」という視点が冒頭に示されていたので、「哲学も口承文芸だとすれば、口承文芸をやってきた私が訳すのもあながち間違いではない」と考え、引き受けました。黙って読むことを前提に、文字で書かれることで難しく複雑になってしまった哲学のなにがしかを日常のことばに引き戻すことは、意味があると思ったのです。

  高校時代、背伸びをして岩波文庫や筑摩書房から出ていた思想大全を読もうとしましたが、よくわからず、悲しく引き下がった経験があります。今でもそういう変わり者の高校生がひとつの学校に一人ぐらいはいるだろう、そういう人に私みたいな悲しい思いをさせないようにしよう、そう考えて翻訳に取り組みました。ただ哲学は全くの素人なので、監修者を付けてもらいました。

高校生に読んでもらいたいと『夜と霧』を訳す

2001年には、『夜と霧』の改訳に取り組み、出版されました。

池田  1956年に、霜山徳爾(しもやま とくじ)先生が訳されたヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』(みすず書房)は、敗戦から10年しか経っていないという時代的な背景もあって、緊迫感があり、今読んでみても非常に優れた翻訳書です。1960年代半ばに高校生活を送った私たちアラ還の世代にとって、「『夜と霧』を読まなければ、まともな大人にはなれない」という強迫観念を抱かせるほどの必読書でもありました。そんなこともあり、私は朝日新聞の「私の三冊」というコラムで、『夜と霧』を取り上げたのです。その時に、私が「私たちは高校生の時に読んだけれど、今の高校生には少し酷かもしれませんね」と言ったんだそうです。それを聞いた出版元のみすず書房の編集者が「それなら、今の高校生に向けてあなたが訳し直してください」と言ってきたのです。

  翻訳業界には、前訳者が存命中は改訳してはいけない、という掟があります。『夜と霧』の場合は霜山先生がご存命でしたし、恩を仇で返すことはできないと断り続けていました。ところが、編集者はあきらめずに霜山先生のもとに通い続け、「試し訳を見よう」という許しを得るところまで漕ぎ着けました。それで、私はとても緊張しながら試し訳をして、それを編集者が霜山先生のところに届けました。そうしたら、霜山先生から出版社に「今、読んだ。すぐ訳してもらいたい。私は末期がんなのです」と電話があったというのです。

  霜山先生は特攻隊の生き残りです。周りの友人が皆死んだなかで生き残り、その後、西ドイツに留学した際に『夜と霧』に出会ったそうです。そして、ウィーンに著者のフランクルを訪ねて、彼が始めた精神療法をご自身の一生の学問分野にされました。ですから、『夜と霧』はご自身の一生を変えた大変な意味を持つ本なのです。また、2000年末に読売新聞が行った読者アンケートの「読者の選ぶ21世紀に伝えたいあの一冊」の翻訳ドキュメント部門の第3位に入っており、今なお高い評価を得ています。霜山先生がそれをご存じないはずはありません。それなのに、自分の訳でなく、改訳してよろしいとおっしゃった。私は編集者の電話の後、霜山先生の思いの深さ寛大さに感動して、声を上げて泣きました。

  霜山先生は私の訳に、「落ち着いた時代に育った人の翻訳だね」と少しご不満だったようです。それはとてもわかるのですが、私は「今の高校生に読んでもらいたい」「フランクルがどんな時代を生きたかを高校生に知ってもらいたい」と思って訳しました。

人生を大きく変えた『もし世界が100人の村だったら』の出版

2001年、『世界がもし100人の村だったら』がミリオンセラーになりました。その後、「世界平和アピール七人委員会」の委員になるなど、社会的な活動も積極的に展開されています。

池田   私自身が自分の活動ぶりに、一番驚いています。若い頃って、「一番なりたくない大人」が誰しもがありますよね。私の場合、そのひとつがバリバリの社会派おばさんでした。ところが、いつの間にか、私自身がその社会派おばさんそのものになってしまったのです。転機は、2001年、ニューヨークの9・11事件の後、インターネットで流れていたチェーンメールを再話した『世界がもし100人の村だったら』を出版したことです。それで人生が随分変わってしまいました。あの本は、アフガニスタンで医療、水源確保、農業支援の活動をしているペシャワール会の中村哲先生に、印税を寄付しようとして企画したものです。出版すれば、100万円ぐらいは印税が入るだろうから、それを中村先生に寄付しておしまいのはずだった。ところが、それでは終わりませんでした。ミリオンセラーになってしまったからです。あちこちから講演の依頼がきつづけて、今に至っています。

  1990年代、『ソフィーの世界』の出版を契機に、私は翻訳者としてマスメディアで注目されました。テレビ出演のオファーも増え、「出版社の営業の人も一生懸命売っているので、私も何とか手助けしなければ」という思いから、テレビ番組のコメンテーターとして出たり、ワイドショーにも出演しました。けれども、そういう生活をしていると、段々筆が荒れてくる。自分はテレビに向いてないと思いました。それで、半年だけはがんばり、その後はテレビ出演の依頼は断るようにしました。そんなふうに、『ソフィーの世界』の時は、マスメディアを通した反響だったのですが、『世界がもし100人の村だったら』は、非常に幅広い市民層から直接の反響がありました。それはメディアに出ていた時とは比べものにならないくらいの大きさでした。皆が私と同じような感じだったのではないでしょうか。9・11事件を目の当たりにし、そして『世界がもし100人の村だったら』を読んで、今の社会の動きに危機感を感じている。そういう感覚を持つたくさんの人たちと一緒に私自身が動いてきたし、今も動きつづけていると感じています。

誰もが読めるように、マックス・ウェーバーを改訳する

最近はブログで、政治的な問題をストレートに書かれています。

池田   9・11事件以後、インターネットをはじめとしたいろいろなメディアで、膨大な情報が氾濫するようになりました。そして、世界で起こるさまざまな問題は、「専門家でなければわからない」と言われるまで複雑化しています。しかし、私が考えるに、事象そのものは複雑な話ではなく、とてもシンプルだと思います。そうでなければ、主権者が理解し、意志を示すことはできないし、主権者が意志を示すことができない社会は、民主主義社会とは言えません。そういう意味で、官僚や政治家、あるいは評論家たちの、難しくて複雑化した議論や認識こそが、フィクションだと思っています。

  政治、戦争、経済、環境、社会。日々さまざまなことが起き、時代は大きな渦となって、すべてをもみくちゃにしているような気がします。何が渦の底に引き込まれて沈み、何が渦を脱して次の時代に浮きあがるのか。精一杯目をこらし、こまめに発信することで、ささやかでも何かの役に立つことができれば。こんな思いで、2009年7月にブログを始めました。その時は、オペラや映画や本の話、旅先で出会った人びとのことなども書く、全体としてはのどかなものにするつもりでした。ところがここ数カ月、政治がおもしろくてたまりません。いきおい、そうした話題ばかりになっています。

これから、やろうとしていることをお話ください。

池田   翻訳家としては、自分にとっての古戦場、すなわち、若い時に格闘した書籍を、恩返しのつもりで若い人にわかりやすく翻訳したいと思っています。言うなれば「古戦場のお掃除」ですね。私はマックス・ウェーバーを補助線として、グリム童話を歴史的に位置づけようとしてきたので、私にとっての古戦場はマックス・ウェーバーです。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と論理』『職業としての政治』『職業としての学問』の翻訳はいずれも大変立派ですが、とても難しい。マックス・ウェーバーは、人々が世の中の動きを理解して生きていくために、とても役立ちます。私は『ソフィーの世界』の頃から、難しい本の敷居を低くするのが自分の仕事だと思って、翻訳をしてきました。ですから、この3冊を『ソフィーの世界』と同じように、とまではいきませんが、多くの人が読んで理解できるようにするのが私の務めだと考えています。

池田 香代子(いけだ かよこ)


 

1948年東京生まれ。ドイツ文学翻訳家・口承文芸研究家。「世界平和アピール七人委員会」メンバー。著書に『哲学のしずく』(河出書房新社)、『新装版 魔女が語るグリム童話』(宝島社文庫)など。訳書に『完訳グリム童話集』、ヨースタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』(日本放送出版協会)、エーリヒ・ケストナー『エーミールと探偵たち』(岩波少年文庫)、ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(みすず書房)など多数。2001年9月11日、ニューヨークで起こった大惨事を機に、アメリカがアフガニスタンに侵攻したことを受けて、『世界がもし100人の村だったら』を出版。人々の平和を願う意識を呼び起こし、ベストセラーとなる。その印税で「100人村基金」を立ち上げ、NGOや日本国内の難民申請者の支援を行っている。

池田香代子ブログ: http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/


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